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小笠原諸島は“東洋のガラパゴス”と呼ばれています。その謳い文句に惹かれて年間約2万人もの人々がこの地を訪れています。
きっと、色鮮やかに咲き誇るハイビスカスや、珍しい熱帯地域の生き物などを想像して、東京湾の竹芝桟橋から24時間もの長い船旅を経て小笠原諸島に足を踏み入れるのでしょう。しかし、実は、小笠原諸島が“東洋のガラパゴス”たる由縁は、そのような南国の動植物たちの存在ではなく、島々の中で慎ましく 進化を遂げる地味で不思議な 固有種たちの存在なのです。
大洋に囲まれた孤島に入り込む生命
小笠原諸島は東京から南へ1,000キロ離れており、伊豆諸島のはるか南、黒潮を越えた北西太平洋上にあります。散在する大小30あまりの島々から構成されていて、聟島列島(むこじまれっとう)、父島列島、母島列島、硫黄列島及び3つの孤島からなっています。これらの島々の中には、日本最南端の沖ノ鳥島や最東端の南鳥島も含まれています。小笠原諸島は沖縄とほぼ同じ緯度で、その気候は亜熱帯性で年間を通して暖かく全体的に乾燥しています。
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指定日 |
:1972年 (昭和47年) 10月16日 |
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面積 |
:6,629ha (2014年3月31日現在) |
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年間利用者数 |
:4万人(2012年度) |
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関係都道府県 |
:東京 |
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掲載記事は2001年 (平成13年) 6月取材当時のものです |
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これら小笠原諸島の島々は大昔に海底の火山活動とその後の隆起によって生まれました。大陸から遠く隔絶されているため、そこに生息する生き物は大洋を渡る手段をもったものに限られ、は虫類やほ乳類が少ない独特な生き物たちの世界が展開されてきました。そんな島々に生き物が棲むようになったのはどうしてでしょうか?
もともと生き物がいないところに、風や海流によって種子や流木などに付着した卵が漂着したりして住み着いたのが始まりです。また、台風によっても種子や生き物が飛来することもあるともいわれています。そうした植物や動物は大陸から隔離されたこの島々の限られた自然のなかで独自の進化を遂げ固有種となっていきました。また、人が住むようになって持ち込まれたり、ネズミや昆虫など気づかずに入り込んできたものもいます。そして、それらの 移入種と呼ばれる新しい来訪者は時間をかけて進化してきた小笠原諸島の自然に激しい変動をもたらしてきました。
無人島から小笠原諸島に
小笠原諸島が歴史に登場したのは、徳川家康の家臣であった小笠原貞頼が、1593年に領地を探して太平洋を南下中、八丈島のさらに南に3つの島を発見したと家康に報告したのが始まりと伝えられていますが、確かなことは分かっていません。その後も、島の存在は知られていましたが、誰も住むことがなく無人島(ぶにんじま)と呼ばれていました。小笠原諸島の英名のBONIN ISLAND(ボニンアイランド)というのは、ぶにんが英語で呼ばれるときにボニンと訛ったものだそうです。
島に人が住みだしたのは1830年にセボレーら欧米人とハワイ系からなる30人が定住したのが始まりです。このころ太平洋では、灯油として利用されていた鯨油の採取を目的とした捕鯨が盛んに行われていました。小笠原諸島近海は優れた捕鯨漁場として多くの捕鯨船が来航していました。そのため、捕鯨船への水や食料などの補給地として小笠原は開拓され始めたのです。
明治になって日本の領土として諸外国より認められ、欧米系の住民も日本に帰化しました。そして、サトウキビなどの農園の開拓が盛んに行なわれるようになって、一時は人口7000人を超えるまで繁栄しました。太平洋戦争末期に強制的に疎開が行なわれ、島民のほとんどが日本本土に引き上げました。戦後は、1968年(昭和43年)までアメリカが統治し、日本に復帰後1972年(昭和47年)に、聟島列島、父島列島と母島列島および硫黄列島が国立公園に指定されました。現在の島民は約2000人程度です。
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