海に浮かぶ富士
高山植物のお花畑と美しい山容から百名山に選ばれた利尻山には年間約20,000〜30,000人が登山しています。また、利尻登山の歴史は古く、幕末に調査に訪れた 間宮林蔵も登頂を試みたという記録が残っています。
山と森と海
利尻島、礼文島は植物だけでなく動物相もこの場所ならではの特徴をもっています。離島であるため、生息する動物が限られ、哺乳類は、ネズミ、シマリスやイタチなどの小動物しかおらず、大型哺乳類であるヒグマやキタキツネはいません。また、ヘビなどのハ虫類は全く生息していません。しかし、かつてはこの島にもヒグマやキタキツネがいた痕跡があり、ヒグマは10世紀以降に、キタキツネは昭和初期に絶滅したようです。また、この島は渡り鳥の中継地をしても有名です。利尻島で観察された鳥の種類はこれまでに約260種あり、ヒガラ、コマドリ、クマゲラ、ウミネコ、ハクセキレイなど多くの鳥たちが渡りの途中の休憩や繁殖のためにやってきます。
利尻島に多くの鳥達がやってくるのは天敵となるキツネなどの大型動物がいないことと、渡り鳥たちが大陸より渡ってくる時に利尻山が目印になっているからです。海獣も多く、ゴマフアザラシ、フイリアザラシ、トドが沿岸に回遊する他、オットセイが沖合を回遊しています。
北の海の道
利尻島や礼文島の周辺は豊かな海産物に恵まれており、食料資源を求めて人が住むきっかけとなりました。記録に残っている利尻島の歴史は江戸中期に漁業の開拓より始まっていますが、島に人が住み始めた歴史は古く、人が住み始めたのは13,000年ほど前の旧石器時代のころからです。利尻島や礼文島では石器が発掘され、ここに旧石器時代から人が住んでいたことが確認されています。また、ここではオホーツク文化と呼ばれる文化を持つ北方の海の民族が住んでいたことが亦稚遺跡(またわっか)の出土品によって分かっています。このオホーツク文化は5世紀頃から10世紀頃まで続いています。詳しいことはまだ分かっていませんが、動物祭礼の習慣を持つなどアイヌの文化に大きな影響を与えているといわれます。また、中国大陸やシベリアとの交流があったことが確認されています。
この豊かな海の恵みには、利尻山の影響もあるといわれています。溶岩でできた大地を水が地下へと浸透していく時に様々なミネラルを含み、この水が周辺の海中より湧出してミネラルを含んだ水がコンブの生育を助けているといわれています。また、そのコンブがさらに他の魚貝類のエサとなり、周囲の海域を豊かな漁場としています。
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