森が海をつくる
漁業の開拓から始まった利尻島の歴史は自然にも影響を与えています。現在の利尻島の主な海産物は、コンブやウニですが、開拓期には主に鰊(ニシン)漁が中心でした。鰊は、そのころの稲作の難しい北海道では主食とされていた他、加工して、肥料や機械油とされ、本州へ送られていきました。
そして、明治の開拓期には冬の利尻島の厳しい寒さや鰊の加工に使う燃料として利尻の森からは多くの木が切り出されていきました。「森が海をつくる」との言葉があるように、森林の減少は、日常生活だけでなく漁業へも影響していったため、明治30年代頃から地域の住民によって植林が行なわれています。
こうしてはじめられた植林事業ですが、離島という特色による困難な課題を抱えてきています。まず、利尻島は強風が吹く為、樹木が生育しにくく、また、土がほとんどない為、溶岩の上に生育していくので大きくなると自分の重さを支えきれないそうです。その他にも、野ネズミによる樹木への食害がおきています。ネズミを捕食する動物がほとんどいないため、ヤチネズミが植樹した木の幹を食べてしまうのです。このヤチネズミの害を減らすために、昭和の初期に天敵となるニホンイタチが移入されています。
時代が移り変わってもそびえ立つシンボル
かつては、鰊漁の盛んな島であった利尻島は、昭和20年代に入り、鰊の漁獲が激減していきました。それに変わって、利尻山が百名山として紹介されたり、利尻礼文サロベツ国立公園として指定がなされ、今では観光の島へと変化してきています。そして、海に浮かぶこの秀麗な山に惹かれて多くの登山客が訪れています。そのために、利尻山でも富士山と同じようにし尿の問題や登山道の荒廃などが起きています。そこで、昨年度、利尻町、利尻富士町では、登山客に携帯用トイレを配布しました。今後の解決策としては、微生物の力でし尿を分解するバイオトイレの設置を検討しています。
また、ボランティア団体の利尻自然情報センターでは、自然観察会や渡り鳥の調査等を行って、この島の彩り豊な自然の素晴らしさを、世代を越えて島を故郷とする住民や訪れる人に示し、伝えていく活動を行なっています。
利尻山を仰ぎ見る人たちは時代の変遷と共に変化してきました。古代人からアイヌの人たち、初めて、利尻山を見て富士山を思い浮かべた開拓者たち。そして現在では、利尻山を故郷の山とする人たちへと移り変わってきています。いつの時代も、利尻山は北の海に浮かぶ豊かな自然のシンボルとして人々を魅了してきました。そして、これからもその山と森と水の島としてその自然が伝えられていくことを願ってやみません。
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