噴火と人々のエネルギーが創る歴史 そしてまち 〜雲仙〜
雲仙岳は、有史以来多くの火山活動や地震が記録されています。1792年(寛政4年)、島原市の背後にそびえる眉山の大崩壊と、それに伴う対岸肥後・天草諸島などへの津波災害は、後に「島原大変肥後迷惑」といわれた日本最大の火山災害です。死者は島原側9,000人余、肥後・天草諸島などを合わせると、総計15,000人にも達したといわれています。また、1990年(平成2年)11月17日には198年ぶりに噴火活動を再開し、その活発な噴火活動による火砕流の発生や降雨に伴う度重なる土石流の発生により、死者44人、建物被害2,511棟、被害総額2,299億円など、地域生活や経済活動に長期にわたって大きな被害を与えました。
しかし「平成の島原大変」を経験した今、地域、住民、ボランティア団体そして行政などが一体となっての取組みにより、徐々に「災害に強いまち」に生まれ変わりつつあります。
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