セブン-イレブン みどりの基金 一般財団法人セブン-イレブン記念財団

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Let's ボランティア


日本の国立公園
平成新山の誕生そしてキリシタン文化の島々 雲仙天草国立公園
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噴火と人々のエネルギーが創る歴史 そしてまち 〜雲仙〜

土石流が最も頻発した年の水無川流域(平成5年9月6日撮影)
水無川導流堤により地域の安全は向上している(平成13年2月11日撮影)

雲仙岳は、有史以来多くの火山活動や地震が記録されています。1792年(寛政4年)、島原市の背後にそびえる眉山の大崩壊と、それに伴う対岸肥後・天草諸島などへの津波災害は、後に「島原大変肥後迷惑」といわれた日本最大の火山災害です。死者は島原側9,000人余、肥後・天草諸島などを合わせると、総計15,000人にも達したといわれています。また、1990年(平成2年)11月17日には198年ぶりに噴火活動を再開し、その活発な噴火活動による火砕流の発生や降雨に伴う度重なる土石流の発生により、死者44人、建物被害2,511棟、被害総額2,299億円など、地域生活や経済活動に長期にわたって大きな被害を与えました。

しかし「平成の島原大変」を経験した今、地域、住民、ボランティア団体そして行政などが一体となっての取組みにより、徐々に「災害に強いまち」に生まれ変わりつつあります。


ボランティア活動が支える 公園の風景
千本木大地を覆った火砕流普賢岳の雲仙普賢岳の噴火活動に伴う火砕流・土石流により、約2,640ヘクタールもの広大な面積の森林が失われた雲仙地区では、災害をきっかけに、1997年(平成9年)10月「生き残ろう、そして今一度郷里を復興させよう」と「雲仙百年の森づくりの会」の活動が開始されました。現在約40の地元住民団体と約350名の地元住民の想いとパワーの結集となって、森の再生・郷里の復興へ向けて確実な広がりを見せています。

 

「卒業の森」と銘打っての記念植樹同会は、緑豊かな大地を取り戻すため、噴火災害から生き延びたクヌギやブナなどの樹木から採取した種子を苗木に育て、災害を受けた地域に植樹を行っています。2月には、卒業を控えている島原半島内の全高校(10校)の3年生約800人による記念植樹を砂防堰堤周辺にて行います。事務局長の旭さんは「災害前、森は風景でしかなかった。でも、災害を経験してからは、生命の森であることに気付いた。」と災害という負の経験から得た大切な教訓を語られました。

 

一回の作業で除去される巻貝は約20〜30個/人というまた、天草地区においても地元に根付いたボランティア活動が行われています。「藍より青く」といわれる天草の海には、富岡・天草・牛深の3ヵ所の海中公園地区が指定されており、特に牛深海中公園ではテーブルサンゴがまるで海中のお花畑のように広がり幻想的な景観を呈しています。しかし、肉食性の巻貝「トゲレイシガイダマシ」による食害、そしてワンポイント 白化によるサンゴの急減が、今懸念されています。

 

トゲレイシガイダマシの調査風景(測定記録作業)このような中「牛深ダイビングクラブ」は、食害からなんとかサンゴを救おうと、大きさ約16〜20ミリメートルのトゲレイシガイダマシの採取調査、水質調査、またピンセットによる巻貝の除去作業などを年間を通して行っています。1992年(平成4年)9月から活動開始し、2001年(平成13年)3月までに308回の作業を行い、駆除した巻貝の数は合計43,622個にもなるそうです。ちりも積もれば山となる?まさにこのような地道なボランティア活動により、生命に満ちた豊かな天草の海は守られているのです。


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