人と自然の共同植樹
一目千本といわれるほど、吉野山には多くの桜が植えられています。その数およそ3万本。ほとんどは、シロヤマザクラと呼ばれる日本古来の野生の桜です。
吉野山の桜は、例年4月上旬から、吉野駅付近の「下千本」、如意輪寺付近の「中千本」、そして西行庵付近の「奥千本」へと約1か月にわたって順に開花していきます。
なぜ、これほど数多くの桜が植えられたのでしょうか。それは今から約1300年前、山岳宗教「修験道」の本尊、蔵王堂の御神木になったことが始まりとされています。その後、御神木になった桜は、多くの人の信仰と憧れが相まって盛んに寄進されました。こうして、吉野山に桜が増えたのです。
桜が増えた理由は、もう一つあります。それは自然の力です。桜の実を食べた野鳥たちの糞に混じった種は、やがて吉野山の至る所に撒かれ、人が足を踏み入れることが出来ないような岩角や谷間にも桜を植えることとなりました。地元吉野では「桜とカラス」という昔話で、野鳥と桜の深い関わりが伝えられています。
しかし、吉野の桜に危機が全くなかったわけではありませんでした。第2次大戦直後は、燃料不足により、薪として伐採されそうになりました。しかし、当時の人々の多くは、祖先が守り育ててきた桜をそう簡単に切るわけにはいかないとまさに血のにじむような苦労をして守ったのでした。
その桜が今再び、危機に直面しています。最近、桜の本数や花の量が減ったり、木肌の艶がなくなってきているのです。原因は寿命( ヤマザクラの寿命は80〜90年)、密植(間隔を詰めすぎて植えること)、病害虫の発生、環境の変化、管理不足などが挙げられています。
このような状況に対して、地域で桜を守っていく活動が行われています。地元の吉野町立吉野山小学校では、1948年(昭和23年)から「ふるさとの桜を大切にすることを通して子供を育てよう」と学校を挙げて桜の育成を行ってきました。一人牛乳ビン2本分のサクランボを集めるのが決まりで、卒業の際には、生徒一人一人が記念として苗木を植えるそうです。苗木は、国内はもちろんアメリカやイギリス、中国の北京など海外へも送られています。ユニークな試みとして、環境にやさしい風船に種をつけて飛ばし、拾った人と交流をするという活動も行われています。
ふるさとの地に桜を植えたことは、いつまでも心の中できっと生き続け、いつまでも心の拠りどころとなることでしょう。また、海外に渡った桜は、春夏秋冬を通して吉野や日本のことを伝える親善大使となってくれるはずです。
かつて吉野の桜は、人々の信仰とともに手厚く守られてきました。そして今、ここ吉野から新しい桜の保護が発信されています。
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