セブン-イレブン みどりの基金 一般財団法人セブン-イレブン記念財団

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日本の国立公園
自然の神々が宿る紀の国 吉野熊野国立公園
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一本たたらが伝える人と自然のかかわり方
このお話は、大台ヶ原に古くから伝わる昔話です。ところで、なぜ「一本たたら」というのでしょうか。大台ヶ原ビジターセンターの岩本泉治さんのお話によると、「この話は実は昔から住んでいる村人と山を切り崩し製鉄業を営んだたたらの人々の軋轢を描いたもの」なのだそうです。大自然からの恵みがまさに生活の糧であった村人たちとその生命線ともいえる山を削って生活をしているたたらの人々との間には常に対立があったと考えられています。「一本」というのは、片足を打ち落とされたたたらの人々を表しているとか。つまり、製鉄作業のなかで、鞴(ふいご)といって、空気を送る作業があるのですが、これは両足がないとできない仕事だったので、村人がたたらの人々の片足を打ち落としたというわけです。しかし、実際に血で血を争うような戦いをしていたというわけではありません。ただ、両者の間に豊かな自然の利用を巡って緊張関係があったということです。

この昔話は、宮崎駿監督の映画「もののけ姫」を彷彿させますね。豊かに暮らそうとする人間と自然とともに生きようとする人間との話は、現代にも共通するものではないでしょうか。

数多くの妖怪伝説の舞台となった大台ヶ原。それは、1年に平均約4千8百ミリ降る豊かな雨によって濃い霧が発生したり、低温だったりと悪天候の中で行方不明になる人が多かったからだといわれています。

しかし、その人を寄せ付けないほどの深い森に今、異変が起きています。その異変とは何か、なぜ起こったのか、そして、人々はどう取り組んでいるのか。

 

海彦山彦が教えてくれること
有名な紀州備長炭の原木は熊野の森に育てられる 「桜が咲くとイワシが捕れる」
かつて熊野の海に生きる人々は春めいていく山々を見ながらこういったそうです。熊野地方はこうした山と海の自然のつながりを表した言い伝えが数多くあります。というのも、3百〜4百メートルの山々が直接海に面した地形になっており、物理的な距離が短いからです。そのため、人々は、海彦(漁師)であり、時として山彦(猟や農業、採集などによって生活を営む)にもなったのでした。

今や人々の暮らしぶりも変わり、自然との付き合いも昔とはすっかり変わってしまいました。しかし、最近、現代を生きる海彦たちがこんな気になることを言っているそうです。「魚がみんな沖へいってしまったよ」と。これは、山の環境の変化と関係があります。

雨の多い紀伊半島では、トウヒやブナなどの豊かな原生林に加え、林業が盛んに行われてきました。しかし、後継者不足などによって、手入れをする人を失った山々がどんどん荒れてきているのです。魚の餌となるプランクトンの餌、つまり、水中の有機物は山の腐葉土によって作り出されます。山の豊かさと海の豊かさは表裏一体にあるのです。


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