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いちめん炭色の草原には、終わったばかりの野焼きの香りがほのかに漂っていた。阿蘇くじゅう国立公園の一角を占める標高1000mの飯田高原。その山あいのひなびた集落に、「おわて」の屋号で呼ばれる一軒の古民家がある。おわてとは、集落の上手(うわて)(上のほう)にあるという意味だ。 建てられたのは安永六年(1777年)。主の時松和弘さんと妻の令子さんは、築200年をゆうに超えるこの先祖伝来の屋敷で農業のかたわら、グリーンツーリズムを受け入れる農家民宿と農家レストランを営んでいる。 「ほんとうは百姓よりも、動物園の飼育係になりたかったな」 そういって笑う時松さんは、大の生きもの好きで、とりわけ鳥類にくわしい。ニワトリやハトにはじまり、カモ、キジ、クジャク、ダチョウにいたるまで、子どもの頃から様々な鳥を飼ってきた。いまはアイガモをコメ作りに利用している。野生動物にも通じ、「昔はキツネやらタヌキやら野ウサギやら、何でも捕まえては食べちょった」という。柔らかな物腰に似あわず、雄大で野趣あふれる九重の自然の申し子のような人だ。
時松さんの人柄やくらしぶりに触れて、九重に移り住んだ若者もいる
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実際「おわて」の空間に身をおくと、生きものの放つ濃厚な気のようなものを感じる。人は様々な動植物のいのちを、食料として、道具類の素材として、あるいは家屋を支える建材として、有り難くいただく──かつて当たり前だった営みがいまも大切に受け継がれているからだろう。そこに暮らす人間を含め、家そのものが一つの生態系をなしているといってもいい。 そんな時松さんの民宿で振る舞われるのは、地元でも作らなくなった伝統食ばかりだ。さすがに狸汁はもう出ないが、自慢の黒米や赤米をかまどで炊き、採りたての山菜料理や素材から手づくりした豆腐、コンニャクなどととりあわせる。しぼりたてのヤギのミルクも絶品だ。薪の火の温もりとともに守られてきた昔ながらの食の、何と豊かなことか。 「いまの子どもが食べているのは食べ物じゃなくてエサ。あれじゃあ身体は肥えても、心は肥えられんのよ。かけがえのない自然の恵みがどうやって自分のいのちにつながるのか、忘れられようとしている食べ物の“物語”を、せめてうちに来た子どもらにはちゃんと伝えていきたいんです」 訥々とした時松さんの言葉に、令子さんも大きくうなずいた。
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