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2000年夏に起きた伊豆諸島・三宅島の大爆発が、その豊かな自然環境に与えたダメージは計りしれない。05年2月、全島避難が解けて島に戻った人々は、4年半もの間、火山灰と火山ガスに覆われていた故郷の姿に目を疑った。森林面積の約6割が立ち枯れ、200種類以上も生息していた野鳥の宝庫は見る影もなかった。しかし、当面は誰もが自分の生活を立て直すだけでせいいっぱい。自然環境の復興にまでは手が回らない。そこへ、思いがけない援軍が現れた。
「三宅島に緑を取り戻そう」と立ち上がったのは、東京・世田谷区にある都立園芸高等学校の生徒とOBだった。本土で避難生活を送っていた三宅高校の生徒・教員との交流をきっかけに、05年度から三宅島緑化プロジェクトをスタートさせた。同校の温室で育てた火山ガスに強い苗木を生徒の手で島へ運び、植樹する。同校OB会長の宗村秀夫さんは、農業校ならではのこの取り組みを支援するためにNPO法人「園芸アグリセンター」を発足させ、活動の準備や協力体制づくりに奔走している。
「行政の試算では600万〜700万本の木を植えないと、島の緑は元通りにならないそうです。学校として息の長い活動に育てていくためには、生徒や教職員、PTAとは別に、核となる実働部隊が欠かせないと思い、OB中心のNPOをつくりました」と宗村さん。セブン‐イレブンみどりの基金も同法人への助成を通じて、三宅島の森林再生活動を支援している。
火山活動が続く三宅島ではガスマスクの携帯が義務付けられている
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「大変だけど楽しかった」— 植樹を体験した生徒は口を揃える
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たくましい都会の自然児たちは毛虫もへっちゃっら
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宗村さんたちは08年までに計8回、島を訪れた。同校生徒をはじめ連携する高校・大学の学生や社会人など、毎回100名程度が参加し、2泊3日の日程で植樹・植栽、下草刈りに汗を流す。急斜面の山肌に苗を植えるのは想像以上の重労働だ。溶岩質の柔らかい土壌に、東京の1・5倍という降水量。植えても植えても、雨が降ると苗が流されてしまう。山腹はいまも危険な立入禁止区域が大半で、万一のためにガスマスクも欠かせない。
しかし当初、宗村さんはもっと厳しい現実にぶつかった。活動には現地の理解と協力が不可欠なのに、森林再生に対して島の人々との間に温度差があったのだ。
「『何で木を植えに来るの』といわれたときは絶句しました。いいことをしているつもりでも、心を開いてもらえなかった」
帰島したばかりで、人々には余裕がないのかもしれない──とにかく活動を地道に継続することで、宗村さんたちは少しずつ現地の信頼を得ていった。
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