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人事部時代は「カリスマ人事マン」の異名をとるほど意外な適性を発揮したが、やがて花形部署であるお菓子の開発企画部に異動、店頭に並ぶ数々の商品の企画に携わった。やりがいのある仕事だったが、子供たちと直接触れ合えないのが寂しくもあり、塾を開いた友人の求めに応じて、休日に子供たちをキャンプに連れていくようになった。とはいえ、キャンプの現場を離れて10年ほどたっており、活動のネタも切れがちに。そんなとき紹介されたのが、里山倶楽部だった。
「そこでは山で木を伐って炭を売ったり、野菜を作ったり、生産・消費に直接かかわる活動をしていたのです。キャンプ場でするキャンプでは得られないものがありました」
その頃、触発された一冊の本がある。日本の自然体験の最先端の事例が詰まった『自然の学校』という本で、そこに登場するリーダーたちの話を聴きたいと、週末ごとに各地を訪ね歩く生活が始まった。キャンプの指導も続けていたため、どうにも休日が足りない。会社員との両立は限界を迎え、ついに退職を決意した。
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「その年たまたま、日本環境教育フォーラム(JEEF)が自然学校のプロを養成する講座を開いたのは、まさに天祐でした。その講師陣こそ、自分が話を聴きにいきたいと思っていた人々だったので」
セブン-イレブン記念財団の第1回海外研修に参加し、環境活動先進国オーストラリアを視察したのも、大きな収穫になった。
「日本と欧米の自然観の違いについて考えさせられました。あちらでは環境活動の多くは法律を作るためのロビー活動や募金活動であって、日本のように直接山に入って木を伐ったりすることではないのです。広大な国土を守るにはそのほうが効果的だったのでしょうね。欧米の環境教育には学ぶべきことがたくさんありますが、それをそのまま日本に持ち込んでも役に立たない。日本の自然や文化に合った環境教育を自分たちでつくりあげなければ──そう思ったとき、最適の場がごく身近にあることに気がつきました。それが里山だったのです」
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