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渡辺さんが自然環境に関心をもつようになったのは、東京での仕事をやめ、故郷に帰って自ら工場経営に携わるようになった60年代末のこと。ちょうど中央自動車道が開通するようになったころだった。 富士山麓に住む人々にとって自然が生きていくための財産なんです。それを使い果たさないように、次の世代に引き継いでいかなければいけません」 93年に「富士山自然学校」を開校。まず取り組んだのはエコツーリズムの推進だった。とくに青木ヶ原樹海に関しては、利用のガイドラインの作成を手がけ、民間から問題提起するきっかけになった。山梨県では、04年7月からこのエコツアーガイドラインが施行されている。 現在渡辺さんたちの活動拠点になっているのは、「きらら」と呼ばれる山中湖交流プラザだ。ここは複合施設になっていて、野外劇場山中湖シアター「ひびき」、スポーツ施設、自然公園などが湖畔に広がる。
渡辺さんたちは、「きらら」の企画段階から参画し、さまざまな提案を行った。運営に携わる人材育成の重要性を訴え、過去の公園事業を総括し、施設には富士山麓の土地にふさわしい工夫を凝らした。
野外劇場「ひびき」のステージは、ホリゾント(舞台後方の壁)が吹き抜けになっていて、山中湖と富士山が見通せる。野球場のナイター用照明設備は、景観を壊さないよう普段は低い位置に収納され、使用するときだけ必要な高さになる。
「富士山は単独峰ですから、どこから見ても同じ景観を保つべきです。そのためにどうするかという視点が大切なんです」
富士山自然学校のメンバーは、「きらら」の自然公園の管理・運営を引き受けている。ここでは自然の観察のほか、枯れ木や木の実を使ったクラフト教室や手織りの体験ができる。
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左:集まったメンバーとはいつでも話し合う 右:クラフトコーナーの素材は無限にある
季節を問わず訪れる人は絶えないが、渡辺さんがいま最も力を注ぐのは、夏休みの「キッズエコクラブ」だ。小中学生を対象に、子どもたち自身がテーマを決めて、自由研究の一環として「フィールド観察ノート」づくりに取り組む。富士山自然学校のスタッフは、サポート役に徹する。
子どもたちは自然公園を散策しながら、植物の葉の付き方や日光と生長の関係、昆虫の生態などの課題を自分で見つけて、レポートを作成する。
「子どもを育てるのは地域の役割ですから、地元の小学校に出前教室もやっています」。渡辺さんの夢は、こうして出会った子どもたちのなかから科学者が現れたり、地域の後継者が育ってくれることだという。
しかし、その前に現実的な夢が待っている。周囲の山をすべて自然公園にすることだ。管理を受託した県有林に植林するための苗木の育成も始まった。渡辺さんに休日は当分なさそうだ。 |
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