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松井さんの活動では、特定のボランティア要員を抱え込むルールではない。イベントごとにそのつどスタッフを集める。それでは大変だろうと思いきや、そのほうが人の集まりはいいのだそうだ。
「参加が重荷になっては、人は集まりません。できる人ができるときにできることをやればいい。だから、人材派遣登録システムを作って、任意に参加してもらっているんです。そのかわり、情報はつねに出し続けています。地元の企業や桜に縁のある企業を積極的に訪問したり、ブログを毎日更新したり、地元ラジオ局では週に1回ナマ出演し、市民に情報を提供しています」
こうした手法は、いまから8年前、松井さんが30歳で設計会社を起業してからの経験による。ここでは、一級建築士や行政書士、測量士、司法書士などのスペシャリストが在籍し、設計から測量、登記、税金相談までをグループで総合的に取り扱う。これまで建築業界にはなかった画期的なシステムである。
「植樹するからには、自分たちで苗から育てたい」という松井さん。育てている苗は、いまのところ病気に強く寿命も長い山桜を採用。上は遊休農地で育てられている桜の苗の一群
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幹についたコケは、樹が弱っている証拠だ。高圧洗浄機を使ってコケを洗い流す
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「経営者はつねにお金と人と仕事をどう集めるかに悩まされています。だからこそ僕は、営業しない営業・管理しない管理システムを構築しました。そして、この50人の会社で成功した組織論を武器に、5万人の街に挑戦を挑んだのです」
松井さんは、起業当初から「30歳で開業した会社を40歳で退く」と公言してきたという。
「会社員だったころは仕事に追われて体を壊し、20代で4回も入院しました。当時婚約者だった家内の両親から、“仕事に一生懸命なのはわかるが、娘を幸せにしてくれる男でないと嫁にはやれない”と言われてしまった。病院のベットの上で悩み抜き、彼女も自分も、そして地域のみんなも幸せにできないかと考えたのが、いまの会社のシステムです。会社も軌道に乗ったし、桜の植樹という目標が見つかったので、予定より4年早く36歳の若さで退職しました」
松井さんはこの活動を“ボランティア”とは思っていないという。なぜなら、街に元気が出て観光客も呼べ、市の財源にもなり、それが住民の住環境へと反映されるという壮大なプロジェクトを思い描いているからだ。
「こんなにたくさんの見返りがあるからこそ、これはひとつの事業といえるでしょう。僕は、このプロジェクトを“株式会社新城市構想”と呼んでいます。ただ単純に桜を植えて終わりにするつもりはありません。ふるさとの新城の街にもう一度元気を取り戻したいのです」
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