静岡県掛川市の倉真(くらみ)には、「時ノ寿(ときのす)」という字(あざ)を持つ地域がある。高度経済成長期までは炭焼きや茶の生産で生計を立てる人々が暮らしていたが、木炭の需要が減ったことから町へ勤めに出るようになり、一軒また一軒と家が消えていった。松浦家は成夫さんが20歳のころに最後の一軒となり、厳しい環境の中なんとか耐えていたが、時代の波には抗えず松浦さんが22歳のとき、ついに麓の街へ降りた。1975年のことだった。
「小学校へは5km、中学は8kmも徒歩や自転車で通わなくてはならないような場所でしたが、村での暮らしは大好きでした。毎日沢へ入ったり、果物を獲って食べたり。父母が残るというのであれば、ここで結婚して頑張ろうと思っていたのですが……」
街で暮らすことになった松浦さんは役所に就職。2年後に結婚した。
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