|
2001年、独立して東京の自宅に環境教育の事業所を設立。その後、自然学校を立ち上げるため、妻と当時1歳になる長女とともに長野県へ移住した。しかし、地元との調整がうまくいかず、1年で東京に戻ることに。
だが、日に一度も土を踏むことがない都会の生活には違和感が募った。どこかに自然のリズムの中で暮らせる場所はないか。かといって人里離れた山の中で暮らすつもりもない。地域の人たちと一緒に汗を流し、自然と共生する豊かな暮らし方を模索し発信したい──仕事のあるとき以外は、車にキャンプ道具を積んで、一家で拠点探しの旅に出た。そして見つけたのが、この山里だった。
|
|
|
「気に入ったのは、人々の暮らしのすぐそばに野生動物がいることです。イノシシ、シカ、ニホンザル……畑をやろうとする人は嫌がるけど、山に力がある証拠です。ここには豊かな生態系が存在すると思いましたね」
土地を購入したのが2003年、伐採・整地に約1年。途中、愛知県で開催された「愛・地球博」の助っ人として忙殺され、結局、最初の一棟が完成したのは3年後だった。
さっそく敷地に野菜の種を撒いたら、3カ月後にはもう食べられるではないか。自信を得て、近隣に畑を借り、無農薬、無施肥の大豆や麦を作り始める。だが初年度の大豆の収穫は目標の1割ほど。それでもめげずに、生き残った豆を翌年蒔き、さらにその翌年も、と自然のあるがままにまかせたら、3年目以降は豊作だった。環境に鍛えられることによって植物は強くなっていたのである。人間も生態系の一部なのだということを理解するには農業をやるのが近道だと知った。2009年には、耕作放棄地になっていた3反(約1000坪)の田んぼを借りた。合鴨農法に挑戦するためだ。
|
|
|