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会設立の年はちょうど港湾建設整備には地元の市民の意見を聞くことが義務づけられた年だったため、行政、専門家、自然保護団体、漁業者、一般市民などから成る懇談会が立ち上げられ、話し合いが重ねられた。
この結果、干潟の埋め立てや白砂ビーチ計画は白紙に戻されただけでなく、もう一つ、大きな収穫があった。それは中津干潟の東端に流れ込む川の河口に建設予定だった護岸の位置を内陸寄りに後退させることで、河口付近の湿地帯を残すという、国内初の「セットバック護岸」を実現させたことだ。湿地はカブトガニの産卵地や希少生物の宝庫であり、水の浄化作用に加え、海岸の災害を面的に防御する緩衝地帯としての働きも担っており、土木事業のモデルケースとして注目を集めた。
最初は胡散臭がられていた漁業者たちとも、いまでは親睦を深め、漁業体験などの活動もできるようになった。海岸清掃や松林の保全にも力を入れており、活動の裾野はどんどん広がっている。一方で、悩みのタネは活動の収入源。会員のボランティアに支えられているだけでは、後継者も育てられないと嘆く。
それでも、大きな夢も描いている。
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「韓国の務安(ムアン)のように、干潟にネイチャーセンターをつくりたい。小屋の延長でいいんです。子供たちや地域の人がいつでも来られ、漁師さんも立ち寄れる場所。干潟の生き物の情報発信をしたり、ツーリズムの休憩所として使ったり、海産物の加工や販売をして水産業の6次産業化にもつなげて行きたいですね」
百かゼロかという対決姿勢の環境活動はしない、徹底的に話し合う──それが会の活動を通して足利さんが身につけた流儀だ。どこまでも明るく粘り強く。困難を乗り越える道はそこにある。 |
以前はスタッフの家にあふれ返っていた活動グッズも、いまは事務所にまとめて保管中 |
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