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投げた針が戻ってきたと思ったら、次の瞬間、獲物はもう名人の手の中に。実際に拝見して、ムツカケが“神業”とまでいわれる理由がわかりました。
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岡本
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獲られたムツゴロウさんも、何が起こったのかわからんでしょう。2匹で遊んでいるところを片方だけひっかけると、残されたほうはきょとんとした顔をしますもんね。うまい人になると1回の漁で500匹も、700匹も獲ります。もっともそれぐらいは獲らんと、商売になりませんから。
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岡本さんが勤務する「道の駅・鹿島」は、泥の上で様々な競技に挑む干潟の祭典「ガタリンピック」の開催地としても有名だ(写真:七浦地区振興会)
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岡本
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だいたいね。私のムツカケの腕前は、有明でも指折りの名人とうたわれた祖父さんの“隔世遺伝”(笑)。いまは漁師をやめて、干潟体験事業の仕事に専念していますが、そこでもムツカケの実演をやってますので、そう鈍っとらんと思いますよ。
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釣り方も独特なら、漁具も独特。竿の長さは5m近くあり、糸の先には6本カギの針(左)が。泥の上を移動するための潟スキーは杉の一枚板だ
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岡本
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私ら「潟っ子」は、小さい頃から遊びの延長として、ムツカケに親しんでいました。それでもまあ、基本を覚えるまでに最低で3年。漁師として一人前になるには10年はかかるでしょう。もちろん人から、手取り足取り仕込まれるものではありません。私にも祖父といういい師匠がいましたが、教えてもらえるのはほんの基本だけ。みんな先輩の技や仕掛けを目で盗み、自分でも試行錯誤を重ねながら腕を磨いたもんです。天候や風向き、時間帯によっても獲れる場所が違うので、そういう意味でも経験がものをいうのは確かですね。
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意外なほどの早さと軽やかさで、潟スキーは干潟の上を滑る。板に片ひざを乗せて体重を支え、残る足で泥を蹴って進むのだ
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ムツゴロウの巣穴に竹筒の罠をしかける「タカッポ」も伝統的な漁法のひとつ。ムツカケに比べて魚が傷つかないので、高く売れるという(写真:鹿島市立浜公民館)
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ムツカケで一番大事なのはどういう点ですか。あのすばしっこいムツゴロウを、竿と糸と針だけでひっかける秘訣を教えてください。
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岡本
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ひっかけるのは二の次。まずは潟スキーに乗れんと、話にならんもんね。というのも、ムツカケで一番大事なのは獲物との距離感、自分の間合いまで首尾よく近づけるかが勝負なんです。上半身が少し揺れただけで、ムツゴロウさんに気づかれてしまうので、慎重にスキーを漕がんといけません。うまく近づけたら針を放り投げて、獲物の20?ほど先に落とし、一気にひっかけます。そして獲物ごと針を自分の周りで一回転させながら、手元へ引き戻してキャッチ。こうした一連の動作にはコツがあるのですが、それを身につけるには、何度も練習して自分でつかむしかありません。
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ムツカケは、有明でしか見られない伝統漁法。歴史も古いそうですね。
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岡本
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江戸時代にはすでに行われていたようですが、最盛期を迎えたのは昭和40年頃でしょう。私も覚えています。当時は、50〜60人の漁師がムツカケを生業とし、技を競っていました。それが昭和の終わり頃にバタバタと減り、いまは鹿島市内に7、8人が残るだけ。60歳代、70歳代ばかりで後継者のあてもない。技の担い手としては、私が一番の若手という有り様です。
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このままでは近い将来、ムツカケが消えてしまうかもしれません。
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岡本
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海が汚れて、魚がとれなくなったこともありますが、ムツカケが衰退した直接の原因は食生活の変化なんです。最近は地元でもめっきりムツゴロウを食べなくなりました。蒲焼やら甘露煮やら、いろんな郷土料理があるのにねぇ。需要がないから、漁師もムツゴロウだけでは生計が立てられんのです。それでもいま干潟には、自然保護という方向から追い風が吹き始めています。ガタリンピックや干潟体験に参加する人々の笑顔を見るたびに、その思いを強くします。だから、商売としては厳しいムツカケも、干潟という自然をとりまく文化として何とか後世に残したい。それが、干潟に育てられた「潟っ子」の使命だと思うのです。
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「昔は干潟じゅうにムツゴロウさんがすき間なくおりました」??親しみと感謝をこめて、名人は獲物を「さん」づけで呼ぶ
Profile
おかもと・ただよし 1949年、佐賀県鹿島市生まれ。同市七浦地区の「道の駅・鹿島」で、95年から干潟体験事業の運営を手がける。元漁師の経験を生かした解説と実演は利用客に大好評。
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