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「自然」に魅せられて
自然と調和する酪農郷 二瓶昭(酪農家、NPO法人 えんの森理事長)
漁業の町・浜中は酪農の町でもある。原生林を切り開いた広大な牧草地の一角にタンチョウが舞い降り、牛と戯れる。木を植える酪農家、二瓶昭さんの牧場だ。
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(上)夕方の搾乳時に牛の状態を見回る二瓶昭さん。約70頭の牛を丹精込めて飼育する家族経営の牧場だ

広大な牧草地は何を奪ったか
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夏でも平均気温は18℃以下。霧が多く冷涼な気候の浜中町では、コメや野菜の栽培は難しい。農家は田畑をあきらめ、もっぱら酪農にくらしの糧を求めてきた。霧多布湿原の北には、二瓶さんたち酪農家が築いた“緑の王国”が広がっている。
二瓶
乳牛は暑さに弱いから、霧が来て涼しくなると、都合がいいんですよ。だけど一方で、霧は厄介な存在でもあるんです。牛乳の味は餌の牧草で決まります。夏場、牧草を収穫するときに霧が降ると、水分が多くなり過ぎて草の質が落ちてしまう。牛の健康によくないし、美味しくないから喜んで食べてくれません。
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水分を十分に落としてロール状にまとめられた牧草。品種は土壌凍結に強いチモシーというイネ科の植物
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酪農というと、牛が牧場でのんびりと草を食んでいる風景を思い浮かべる。しかし自然に生えた青草ばかりでは健康な乳牛は育たない。繊維質が足りないのだ。牧草を刈り、天日で乾燥させ水分を調整したサイレージ(牧草を発酵させて栄養価と保存性を高めた飼料)を与えるのはそのためだ。したがってサイレージの出来が牛乳の質を左右する。
二瓶 
牧草は野草ではなく、圃場(ほじょう)に種を撒いて栽培する農作物だから、野菜と同じで旬があるんですよ。旬の草は柔らかく、栄養満点で収量も多い。だからその時期に雨や霧を避けていっきに収穫しないと、質のいい餌にならないんです。天候の見極めが勝負ですね。昔はよく天気予報にだまされましたが、いまはあてにしません。長年の経験で夕陽の色を見ればわかりますからね。たとえば薄いオレンジ色なら明日は晴れ、紫がかっていたら2、3日後に崩れる。天気予報より正確です(笑)
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牛1頭あたりに1ha分の牧草が必要といわれるが、浜中には広大な牧草地がある。これが浜中を、国内有数の酪農地帯に押し上げた要因だ。だが、この牧草地、もとから牧草地だったわけではない。
二瓶 
先人の努力の賜物ですよ。国の政策に従えばみんな豊かになれると信じて、懸命に規模の拡大を押し進めてきた。私もそうです。でも牧草地を造成するたびに森は伐採され、自然は失われていきました。河川には土砂や家畜の糞尿が流れ出し、生き物も棲みかを追われ、姿を消しました。私たちの牧草地は、貴重な自然と引き替えに、すさまじい勢いで拡大していったんです。このままでいいのか、どこまでいけば豊かになれるのか、いつしか私は疑問を抱くようになっていました。でも地元で生まれ育った人にとっては、草地がどこまでも広がる景色は当たり前。おかしいと感じるのは、自分がよそものだからだと思いましたね。
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二瓶さんは宮城県出身。高校を卒業して一度は東京で就職したが、北海道の大自然に憧れ、42年前に浜中へ移り住んだ。厳しい酪農実習を積んで二瓶牧場に入り、婿養子として先代の後を継いだ。
二瓶 
私が浜中にやってきた当初はまだうっそうとした森があって、夜出歩くとこわいくらいでした。それが急激に開発されるのを目の当たりにして、酪農の“ゴールなき拡大”に不安が募っていったんです。そんなとき、たまたまNHKの自然番組でドイツのある酪農の村の風景を見て衝撃を受けました。その村では春になると、アフリカからコウノトリが繁殖に渡ってくるのですが、開発が進み、営巣に必要な木々が失われてしまったため、酪農家たちが牛舎の屋根に高い台をとりつけ、子育てを助けていたんです。自然と調和する酪農郷──映像を見て、これこそが目指すゴールだと確信しましたね。1998年の冬のことです。
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刈り取られた草地に点々と置かれているのはラップサイレージ。牧草をラップで包み空気を遮断して乳酸発酵を促す。最近の牧場の夏の風物詩だ

河畔の森を育て魚道をつくる
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「木を植えて森を蘇らせる」。二瓶さんは決意し、酪農家の仲間に協力を求めた。しかしそこは先人が苦労を重ねて開墾した土地だ。よそものが森に戻そうなんて提案したらどうなるか、不安が先に立った。
二瓶 
思い切って相談してみたら、意外にも賛同してくれたんですよ。先輩の酪農家も、やはり「木を切り過ぎた」という後悔があったみたいでね。じゃあ、やってみようと。
 豊かな自然環境を取り戻すことは、何よりもこの土地で生産される牛乳の「安心・安全の証」になります。地元の農協も最新技術を導入して、徹底した品質管理をおこなっていますが、酪農家自らが環境保全に尽くせば、数字では表せない安心感を消費者に伝えることができるんじゃないか。そう考えて、私たちはまず木を植えはじめたんです。
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二瓶さんら有志は、河畔の湿地など、牧草地として開発したものの利用できない土地に植樹を始めた。河畔の森が再生すると、土砂などが河川へ流出するのを防ぐとともに、落ち葉が分解されて川の養分となり、水生昆虫や魚などの生態系も蘇る。
二瓶 
浜中と、となりの別海町には風蓮川という川が流れていて、この川は根室半島の付け根の風蓮湖へと注いでいます。風連湖は汽水湖で、昔からシジミが特産だったのですが、いまはほとんど採れません。原因は風蓮川上流の牧草地開発による水質悪化です。私たちはその改善のために流域に木を植えて、河畔の森の再生を目指しているんです。08年には風蓮川の支流の堰に魚道を設け、希少な魚が遡上できるようにしました。取り組みは緒についたばかりですし、なにしろ広い土地ですから、成果が上がるまでにはまだまだ時間がかかるでしょう。
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息の長い活動を目指すには、安定した組織づくりが欠かせない。2011年、二瓶さんは浜中・別海両町の酪農家を中心とする住民有志とともに、「NPO法人えんの森」を設立した。
二瓶 
えんの森の「えん」は、人と人の縁でもあります。風蓮湖の現場を視察したとき、私は酪農家としての責任を痛感しました。「山の人間が海を汚す」という漁業者の声が、私の耳に届くこともあります。だからこそ上流と下流、陸と海、酪農家と漁業者の縁をつなぎたい。流域で連携しなければ、有効な環境保全はできませんから。
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風蓮川支流の取水堰に二瓶さんたちが設置した魚道。活動を通じて酪農家と多くの地元住民との縁が生まれ、NPO設立のきっかけとなった
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放牧場に幼鳥を連れて現れたタンチョウ。牛だけでなく二瓶さんにも慣れていて、2〜3mまで近づける
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この道40年以上のベテランにして「酪農は本当に奥が深い。一生かけても究められない」と語る二瓶さん。最近は肉用牛の肥育も始めた(右)
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今年も二瓶牧場にはタンチョウが舞い降りた。アイヌの人々がサルルンカムイ(湿原の神)と呼ぶその姿は、二瓶さんにいつも大切なことを思い出させてくれるという。

二瓶 
不思議なことに、木を植えはじめた13年前に突然飛んできたんです。それから毎年つがいで現れるようになって。子育てに成功すればヒナも連れてくるし、牛がそばに来ても大丈夫。よく遊んでいますよ。タンチョウと牛が戯れている姿は、私にとってまさに「自然と調和する酪農」の理想です。見るたびに励まされますね。
Profile

にへい・あきら 1950年宮城県生まれ。高校卒業後、東京での2年間のサラリーマン生活を経て北海道へ。酪農未経験ながら二瓶牧場で研鑚を積み、義父から同牧場の経営を引き継ぐ。自然と調和した酪農郷の実現を目指し、環境保全と地域づくりに取り組むNPO法人えんの森理事長としても活動中
CONTENTS
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コンテンツ
・野生ラッコ復活を見守る岬の番人  片岡義廣(写真家、NPO法人エトピリカ基金理事長 )
・大樹が見せてくれる希望 ジョン・ギャスライト(農学博士、ツリークライマー)
・コウノトリ、再び日本の空へ 松本 令以(獣医師)
・果樹の国から発信日本初の「4パーミル」活動 坂内 啓二(山梨県農政部長)
・ササを守り、京文化を次世代へ 現役囃子方研究者の挑戦 貫名 涼(京都大学大学院助教)
・葦船を編めば世界も渡れる 石川 仁(探検家・葦船航海士)
・虫目線で見た神の森 伊藤 弥寿彦(自然史映像制作プロデューサー)
・親子四代「ホーホケキョ!」いのちの響きを伝えたい 江戸家 小猫(動物ものまね芸)
・「長高水族館」は本日も大盛況! 重松 洋(愛媛県立長浜高校教諭)
・走れQ太! 森を守るシカ追い犬 三浦 妃己郎(林業家)
・消えた江戸のトウガラシが現代によみがえる 成田 重行(「内藤とうがらしプロジェクト」リーダー)
・山里のくらしを支える石積みの技 真田 純子
・溺れるカエルを救いたい!秘密兵器を開発した少女 藤原 結菜
・音楽界に革新!?クモの糸でストラディバリウスの音色に挑む 大﨑 茂芳
・ふるさとの空に赤トンボを呼び戻す 前田 清悟(NPO法人たつの・赤トンボを増やそう会理事長)
・大自然がくれた至福の味 カニ漁師奮戦記 吉浜 崇浩(カニ漁師、株式会社「蟹蔵」代表)
・カラスを追い払うタカ─害鳥対策の現場から 石橋 美里(鷹匠)
・タカの渡りを追う 久野 公啓(写真家、渡り鳥研究家)
・微生物が創り出す極上ワイン 中村 雅量(奥野田葡萄酒醸造株式会社 代表取締役)
・「海藻の森づくり」で海も人も健康に 佐々木 久雄(NPO法人 環境生態工学研究所理事)
・大学をニホンイシガメの繁殖地に 楠田 哲士(岐阜大学応用生物科学部准教授)
・面白くて、おいしい「キッチン火山実験」 林 信太郎(秋田大学教授、秋田大学附属小学校校長)
・世界で唯一、エビとカニの水族館 森 拓也(すさみ町立エビとカニの水族館館長)
・都会の真ん中に“山”をつくる 田瀬 理夫(造園家、プランタゴ代表)
・一粒万倍 美味しい野菜はタネが違う 野口 勲(野口のタネ/野口種苗研究所代表)
・都市の里山に宿る神々 ケビン・ショート(ナチュラリスト、東京情報大学教授)
・ムササビ先生、今夜も大滑空観察中 岡崎 弘幸(中央大学附属中学校・高等学校教諭)
・保津川下り400年─清流を守る船頭の心意気 森田 孝義(船士)
・小笠原の「希少種を襲うノネコ」引っ越し大作 小松 泰史(獣医師)
・チリモンを探せ! 藤田 吉広(きしわだ自然資料館専門員)
・スズメバチハンター走る! 松丸 雅一(養蜂家)
・東京湾のサンゴを見つめて 竹内 聖一(NPO法人 たてやま・海辺の鑑定団理事長)
・芝とシカのふしぎな関係 片山 一平(京都府立桂高校教諭)
・ドブ池ドブ川奇跡の復活炭博士が行く 小島 昭(群馬工業高等専門学校特命教授)
・「木一本、鰤(ぶり)千本」─豊かな海を育んだ海底湧水の秘密 張 勁(富山大学教授)
・わくわくドキドキ! 夏の夜の生きもの探し 佐々木洋(プロ・ナチュラリスト)
・かわいい変顔 虫目で見つけた! 鈴木海花(フォトエッセイスト)
・癒しの森でいのちを洗う 降矢英成(心療内科医)
・ブナの山が育てた神の魚 杉山秀樹(秋田県立大学客員教授)
・自然と調和する酪農郷 二瓶 昭(酪農家、NPO法人えんの森理事長)
・漁師が見た琵琶湖 戸田直弘(漁師)
・田んぼの恵みはお米だけじゃない 石塚美津夫(NPO法人「食農ネットささかみ」理事長)
・「結」の心を伝えたい 和田利治(屋根葺き技術士)
・多摩川復活の夢 山崎充哲(淡水魚類・魚道研究家)
・モイヤー博士の愛した島 中村宏治(水中カメラマン)
・白神山地が育む奇跡の菌 高橋慶太郎(秋田県総合食品研究センター主席研究員)
・ありがとう、ハチゴロウ 佐竹節夫(コウノトリ湿地ネット代表)
・ヤイロチョウの森の守り人 中村滝男(生態系トラスト協会会長)
・水辺って、こんなに面白い! 井上大輔(福岡県立北九州高等学校教諭)
・地熱染め 色彩の魔術 高橋一行(地熱染色作家)
・里山っ子ばんざい! 宮崎栄樹(木更津社会館保育園園長)
・金沢和傘の伝統を引き継ぐ 間島 円(和傘職人)
・「竹のこころ」を伝えたい ジョン・海山・ネプチューン
・クマのクーちゃん 人工冬眠大作戦! 小宮輝之(上野動物園 園長)
・まつたけ十字軍がゆく 吉村文彦(まつたけ十字軍運動代表)
・氷の匠──冬に育む夏の美味 阿左美哲男(天然氷蔵元)
・日本でただひとりのカエル捕り名人 大内一夫(カエル販売業)
・「村の鍛冶屋」の火を守る 野口廣男(鍛冶職人)
・杉線香づくり100年 駒村道廣(線香職人)
・空師(そらし)──伐って活かす巨木のいのち 熊倉純一
・日本ミツバチに学んだこと 藤原誠太
・満天の星に魅せられて 小千田節男
・ブドウ畑に実る夢 ブルース・ガットラヴ
・タゲリ舞う里を描いて 森上義孝
・ホタル博士、水辺を想う 大場信義
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・僕は「SATOYAMA」の応援団長 柳生 博
ムツカケ名人に学ぶ──豊穣の海に伝わる神業漁法 岡本忠好
・イチローの バットを作った男 久保田五十一(バットマイスター)

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