もともとこの町には、1935年にできた四国初の町立水族館がありました。私は北条市(現・松山市)の出身ですが、子供のころ、長浜まで水族館を見に来た記憶があります。四国では有名な水族館でしたが、建物が老朽化して、86年に惜しまれながら閉館しました。その後、99年に、「水族館の町」という記憶を引き継ぎ、町が一体となって「長浜まちなみ水族館」というイベントが始まったのです。町内の個人や事業所が持っている水槽をネットワーク化して、町全体を水族館に見立てるという催しです。この催しの中核を担ったのが、長浜高校にある水槽でした。
私は開館の3年ぐらい前に生物担当として長浜高校に赴任して、自然科学部の顧問をしていたのですが、赴任当時、生物教室には水槽が2つしかありませんでした。子供のころから釣りが好きで、海の生き物に対する関心がすごく強かったこともあり、あちこちから水槽を集めてきて、自然科学部の生徒たちと一緒にあれこれ飼い始めました。長浜は肱川の河口に位置していて、海と川の両方の生物が手に入るのです。98年秋の文化祭のとき、20個ぐらいに増えてきた水槽を水族館に見立てて公開したところ、とても評判がよく、いっそ月に1回公開したらどうか、という話になったのです。そして翌年、隣の教室が空いたので、そこに水槽を移して、本格的な「長高水族館」が誕生したわけです。このときの自然科学部が、2011年より水族館部となりました。
カフェは生徒会が運営しています。パンはビジネスコースの生徒たちが企画して、学校の前のパン屋さんで作ってもらっています。家庭クラブが来館する子供たちにアクセサリー作りのワークショップをおこなったり、美術部が展示物を作成したりもします。水族館部の活動に呼応して、さまざまな部の生徒たちが横断的に自ら考えて行動しています。水族館は毎月あるので、1回終わると部員で反省会をして、次の月の企画を立て、準備をするのです。ハマチが輪くぐりをするショーには私も最初は驚きました。ハマチというのは回遊する魚で、狭いところには入っていかないものです。それをエサで誘導して輪くぐりするよう馴らしていった。見物する子供たち自身も輪を持てるので、人気のプログラムです。
水族館部員の活動は2つあります。前半は自分の担当の水槽の清掃や水替えなどのメンテナンス。後半が班活動です。カクレクマノミの繁殖技術はかなり上がってきました。ただ、生徒は3年で入れ替わりますから、新しく入った生徒はみんな苦労します。生き物はただ飼うだけでも簡単ではありませんが、繁殖となると卵から成魚まで、それぞれの段階で必要なことが違ってきますから。
カクレクマノミがイソギンチャクに刺されない理由の一つが、体表をマグネシウムイオンで覆っていることであるのを突き止めたのです。これは世界初の発見で、2014年の日本学生科学賞最高賞である内閣総理大臣賞を受賞、インテル国際学生科学技術フェアで優秀賞4等を獲得しました。イソギンチャクやクラゲは刺胞動物といって、刺胞細胞つまり毒針を発射して敵を撃退するのです。それを避けるメカニズムをカクレクマノミで発見したことが、数年後に、サーファーなどを対象にしたクラゲ予防クリームの開発につながりました。こちらのほうは、2018年の高校生ビジネスプラン・グランプリで準グランプリを受賞しています。このクリームは化粧品会社とタイアップして商品化し、昨年から販売中です。
クマノミの研究でマスコミにとりあげられることが増えてから、一般公開日の入場者数も目に見えて多くなりました。1回平均500人、多いときは900人近くになります。そして、水族館部の存在は、明らかにやる気のある生徒を長浜高校に引き寄せる力になっています。いまは部員のほぼすべてが、水族館部に入りたくて長浜高校にやってきた生徒たちです。彼らの卒業後の進路はさまざまですが、ここで身につけたことは、いろんな意味で生きる力につながっています。なんらかの課題を自分で見つけて、それをいかに解決していくかというプロセスを学んでいますから 。
閉館した旧長浜水族館の再興は地元町民の夢でもありました。長高水族館がいくら人気があっても、月に1日しか開館できませんし、教室や廊下を使っているので限界があります。長浜水族館を再建し、運営は基本的に生徒自身が担当すれば、いまの長高水族館のよさを活かせるでしょう。ハコモノをつくって終わりにはしたくありません。食事や買い物のできる「海の駅」のような拠点と、街なかの小さな水槽群、そして長高水族館を結ぶルートを人々が回遊する、いわば町全体を一つの大きな水族館とするような構想です。実現すれば、ほかにはまねのできない水族館になるのではないかと期待しています 。