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芝とシカのふしぎな関係 片山 一平(京都府立桂高校教諭)
古都・奈良の顔でもあるシカは、じつは餌付けのされていない野生のシカである。主要なエサは若草山など一帯に分布する天然の芝。でもなぜか芝も減らないし、シカも減らない。古代からつづく共生の謎を、高校生と教師が解き明かした。
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片山一平先生は園芸を教えて30年のベテラン。研究班では、200年前にあった「ウォードの箱」をヒントに、少量の水で植物が育つ装置の開発や、世界最小のアジサイの作出にも成功している

自然のままでは発芽率は1割
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奈良・若草山には在来芝の一種「ノシバ」が自生している。近年、DNA鑑定によって、この芝はこの地域の固有種であると分かった。若草山に棲むシカに食べられることで独特の進化を遂げたのだという。解明したのは、京都府立桂高校の片山一平先生と生徒たち。ゼミ形式の授業「地球を守る新技術の開発」研究班のメンバーたちである。
片山 
若草山には33haの広さに1000頭以上のシカが棲みついています。昔から神の使いとして守られてきたとはいえ、餌場として1頭につき1haの草地を必要としますから、どう見ても過密です。でもシカは減らないし、餌となる芝(ノシバ)も食べ尽くされることはない。芝というのは本来、刈らなければ成長しない植物なので、シカがせっせと食べるほど逆によく育ちます。とくに若草山の芝は、他の地域の個体よりも小ぶりで、成長が速く、葉を次々と出すのが特徴です。食べられることに適応した個体が残ったのです。しかもシカは、競争相手になる他の植物も食べてくれる。芝にとってはまさに好都合なんですね。そうやって1000年以上かけて、種として固定されたのでしょう。
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片山先生たちの研究は、芝を活用した屋上緑化システムの開発である。ビルの屋上で固有種の芝を増やせば、他種と交雑することもないし、生物多様性保全にも役に立つ。各地の固有種の調査が始まったのはそれからだ。
片山 
ノシバは岩場や海岸、寒冷地など多様な環境に適応できるので、地域ごとに固有種が生まれやすい。土壌の栄養が乏しく、水環境が厳しい場所でも育ちます。その特性を活かせば、屋上緑化システムの最大の課題、軽量化が可能になると考えたのです。神社や仏閣、庭園の多い京都は、昔から芝の一大消費地です。そこで最初、地元の京都の自生種を使ってみようと思って、園芸業者に聞いて回ったのですが、「自生種といわれても……」と。昔は周辺の山には木が少なくて、日当たりを好む芝にとっては天国だったのですが、そういう自生地の芝は剥がされてしまっていて……。若草山に目を向けたのはそういう理由からです。
片山先生から指導を受ける研究班のメンバー。校内の圃場に植え付けた芝の状態を毎日細かくチェックする(上)。ハウス内でもさまざまな種類の芝を栽培中(左)。ノシバにコウライシバ、オニシバなどを交雑させて耐塩性をより高めた改良種の芝
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同校の屋上に設けられたK-NETと呼ばれる緑化システム。土壌がほとんど使われていないのに、芝生はしっかりと密生している
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自生地を保全しながら固有種の芝を別の用途に使うには、種を採取して増やす以外にない。しかしそれには障害があった。自然下における芝の発芽率は10%に満たないのだ。
片山 
なぜ、そんなに発芽率が低いのか。考えているうちに、若草山のあちこちに落ちているシカの糞が、発芽のカギを握っているのではないかと気づきました。固い外皮に覆われている芝の種子は、シカに食べられ、糞に混じって未消化のまま出てくると、外皮が適度に軟らかくなっていて、発芽率が40〜50%に高まることが分かったのです。芝は恐竜の時代から存在する古い植物ですが、おそらく種子が動物に食べられることで遠くに運ばれ、分布域を広げるという生き残りの方法を選択したのでしょう。つまり芝とシカは共生関係にあるのです。われわれはこの理論をもとに、シカの消化液に似た薬剤に芝の種子を浸すなど化学的な処理と、KNCと呼ばれる発芽容器によって、発芽率を90%近くに高めることに成功しました。芝生を剥がしたりせずに、種子で固有種を増やす方法を日本で初めて確立したのは、じつは高校生たちなのです。
若草山では、芝生が観光客に踏まれて傷む被害が深刻化しています。研究班の技術は、その保全再生事業にも活かされました。
新発見の芝で被災地をみどりに
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2012年春、研究班は東日本大震災の被災地・宮城から協力を求められた。
片山 
被災地から学校に、「津波堆積土(津波が運んできた土砂や瓦礫を含むヘドロ)を防潮堤や農地の畦(あぜ)に使いたいが、ノシバを植えることで土壌流出を抑えるのは可能か」という問い合わせがきたのです。生徒たちも震災直後から、自分たちに何かできることはないかと考えていました。津波堆積土はヘドロですから、堤防などに使っても、たしかにそのままでは雨で崩れてしまう。植物による緑化か、固化剤で固めるかしなければいけない。固化剤はコストがかかるし、土壌が強いアルカリ性になります。緑化のほうが美しいのですが、強い塩分を含む津波堆積土に根付く植物は多くありません。そこで、もともと海岸沿いに自生し、耐塩性・耐寒性の高いノシバはどうかという話になったのです。芝には土中の塩分を吸い上げ、除去する力もある。よし、やってみよう、と引き受けました。
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芝による津波堆積土の緑化には、生物多様性の観点から宮城県に固有の自生種を使いたい、というのが片山先生と生徒たちの考えだった。東北から北海道は熱帯性植物の北限で、ノシバの自生地が点在する。生徒と現地調査に訪れたところ、学術的にも興味深い事実が見えてきた。
片山 
牡鹿半島の先に金華山という無人島があります。島全体が神社の神域で、神の使いのシカが多数生息しているなど、若草山と非常に似通った環境だと聞いて、ピンと来たんです。行ってみたら、金華山はやはりノシバの自生地でした。DNA鑑定などで調べた結果、金華山のノシバは、長い年月をかけてつくられた非常にユニークな固有種であること、海に近く津波にもたびたび襲われた歴史から、他の固有種以上に高い耐塩・耐寒性をもっていることが分かったんです。ただ島内は神域ですから、草一本持ち出すことは許されません。そこで種から発芽させて栽培する手法を説明して、了解を得ることができました。
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ノシバの種子。片山先生によれば、黒豆大のシカの糞の中に50個ほどの種子が含まれて排出されるという
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試験圃場では、複数の固有種の芝に塩水をかけて耐塩性を比較するテストを実施中。芝の仲間には「塩腺」と呼ばれる器官があり、体内の塩分を排出できる
Profile

かたやま・いっぺい 1957年京都府生まれ。大学卒業後、講師を経て母校の桂高校に赴任。以来30年間園芸を教える。高校では珍しいゼミ形式の学習プログラム「TAFS」(Training in Agriculture for Future Science)の担当教員として「地球を守る新技術の開発」研究班を指導。ノシバの保護・活用の研究に取り組んでいる。
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芝の小さな種を採種するのはすべて手作業。10人で4時間かけて200g採種するのが精一杯という。被災地の緑化プロジェクトに必要な面積の芝生を栽培するには、現地で少なくとも3300g以上の種子を集めなければならなかった。
片山 
全校生徒に声をかけて、総勢50名の「種子採種隊」を結成しました。バスをチャーター、京都—金華山2泊3日の採種ツアーです。予算の都合もあって、採種は1回きりでしたが、集めた種は発芽し、育苗を経て、圃場(ほじょう)に植え付けられました。いよいよ今年から現地で緑化に用いられる予定です。研究班はその後もたびたび被災地を訪れて、緑化の実証実験に取り組んでいますが、いつもハードスケジュールで、現地に7時間ほど滞在して帰りは夜行バスでとんぼ返り、なんてこともあります。でも、うちのゼミの生徒は意欲に燃えています。なにしろ「地球を守る新技術の開発」という大きな夢をもつ研究班ですから。これからは芝の可能性を国内だけでなく、海外の土壌改良や砂漠の緑化にも広げて活用していきたいと思っています。
CONTENTS
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コンテンツ
・野生ラッコ復活を見守る岬の番人  片岡義廣(写真家、NPO法人エトピリカ基金理事長 )
・大樹が見せてくれる希望 ジョン・ギャスライト(農学博士、ツリークライマー)
・コウノトリ、再び日本の空へ 松本 令以(獣医師)
・果樹の国から発信日本初の「4パーミル」活動 坂内 啓二(山梨県農政部長)
・ササを守り、京文化を次世代へ 現役囃子方研究者の挑戦 貫名 涼(京都大学大学院助教)
・葦船を編めば世界も渡れる 石川 仁(探検家・葦船航海士)
・虫目線で見た神の森 伊藤 弥寿彦(自然史映像制作プロデューサー)
・親子四代「ホーホケキョ!」いのちの響きを伝えたい 江戸家 小猫(動物ものまね芸)
・「長高水族館」は本日も大盛況! 重松 洋(愛媛県立長浜高校教諭)
・走れQ太! 森を守るシカ追い犬 三浦 妃己郎(林業家)
・消えた江戸のトウガラシが現代によみがえる 成田 重行(「内藤とうがらしプロジェクト」リーダー)
・山里のくらしを支える石積みの技 真田 純子
・溺れるカエルを救いたい!秘密兵器を開発した少女 藤原 結菜
・音楽界に革新!?クモの糸でストラディバリウスの音色に挑む 大﨑 茂芳
・ふるさとの空に赤トンボを呼び戻す 前田 清悟(NPO法人たつの・赤トンボを増やそう会理事長)
・大自然がくれた至福の味 カニ漁師奮戦記 吉浜 崇浩(カニ漁師、株式会社「蟹蔵」代表)
・カラスを追い払うタカ─害鳥対策の現場から 石橋 美里(鷹匠)
・タカの渡りを追う 久野 公啓(写真家、渡り鳥研究家)
・微生物が創り出す極上ワイン 中村 雅量(奥野田葡萄酒醸造株式会社 代表取締役)
・「海藻の森づくり」で海も人も健康に 佐々木 久雄(NPO法人 環境生態工学研究所理事)
・大学をニホンイシガメの繁殖地に 楠田 哲士(岐阜大学応用生物科学部准教授)
・面白くて、おいしい「キッチン火山実験」 林 信太郎(秋田大学教授、秋田大学附属小学校校長)
・世界で唯一、エビとカニの水族館 森 拓也(すさみ町立エビとカニの水族館館長)
・都会の真ん中に“山”をつくる 田瀬 理夫(造園家、プランタゴ代表)
・一粒万倍 美味しい野菜はタネが違う 野口 勲(野口のタネ/野口種苗研究所代表)
・都市の里山に宿る神々 ケビン・ショート(ナチュラリスト、東京情報大学教授)
・ムササビ先生、今夜も大滑空観察中 岡崎 弘幸(中央大学附属中学校・高等学校教諭)
・保津川下り400年─清流を守る船頭の心意気 森田 孝義(船士)
・小笠原の「希少種を襲うノネコ」引っ越し大作 小松 泰史(獣医師)
・チリモンを探せ! 藤田 吉広(きしわだ自然資料館専門員)
・スズメバチハンター走る! 松丸 雅一(養蜂家)
・東京湾のサンゴを見つめて 竹内 聖一(NPO法人 たてやま・海辺の鑑定団理事長)
・芝とシカのふしぎな関係 片山 一平(京都府立桂高校教諭)
・ドブ池ドブ川奇跡の復活炭博士が行く 小島 昭(群馬工業高等専門学校特命教授)
・「木一本、鰤(ぶり)千本」─豊かな海を育んだ海底湧水の秘密 張 勁(富山大学教授)
・わくわくドキドキ! 夏の夜の生きもの探し 佐々木洋(プロ・ナチュラリスト)
・かわいい変顔 虫目で見つけた! 鈴木海花(フォトエッセイスト)
・癒しの森でいのちを洗う 降矢英成(心療内科医)
・ブナの山が育てた神の魚 杉山秀樹(秋田県立大学客員教授)
・自然と調和する酪農郷 二瓶 昭(酪農家、NPO法人えんの森理事長)
・漁師が見た琵琶湖 戸田直弘(漁師)
・田んぼの恵みはお米だけじゃない 石塚美津夫(NPO法人「食農ネットささかみ」理事長)
・「結」の心を伝えたい 和田利治(屋根葺き技術士)
・多摩川復活の夢 山崎充哲(淡水魚類・魚道研究家)
・モイヤー博士の愛した島 中村宏治(水中カメラマン)
・白神山地が育む奇跡の菌 高橋慶太郎(秋田県総合食品研究センター主席研究員)
・ありがとう、ハチゴロウ 佐竹節夫(コウノトリ湿地ネット代表)
・ヤイロチョウの森の守り人 中村滝男(生態系トラスト協会会長)
・水辺って、こんなに面白い! 井上大輔(福岡県立北九州高等学校教諭)
・地熱染め 色彩の魔術 高橋一行(地熱染色作家)
・里山っ子ばんざい! 宮崎栄樹(木更津社会館保育園園長)
・金沢和傘の伝統を引き継ぐ 間島 円(和傘職人)
・「竹のこころ」を伝えたい ジョン・海山・ネプチューン
・クマのクーちゃん 人工冬眠大作戦! 小宮輝之(上野動物園 園長)
・まつたけ十字軍がゆく 吉村文彦(まつたけ十字軍運動代表)
・氷の匠──冬に育む夏の美味 阿左美哲男(天然氷蔵元)
・日本でただひとりのカエル捕り名人 大内一夫(カエル販売業)
・「村の鍛冶屋」の火を守る 野口廣男(鍛冶職人)
・杉線香づくり100年 駒村道廣(線香職人)
・空師(そらし)──伐って活かす巨木のいのち 熊倉純一
・日本ミツバチに学んだこと 藤原誠太
・満天の星に魅せられて 小千田節男
・ブドウ畑に実る夢 ブルース・ガットラヴ
・タゲリ舞う里を描いて 森上義孝
・ホタル博士、水辺を想う 大場信義
・左官は「風景」を生み出す職人 挟土秀平
・僕は「SATOYAMA」の応援団長 柳生 博
ムツカケ名人に学ぶ──豊穣の海に伝わる神業漁法 岡本忠好
・イチローの バットを作った男 久保田五十一(バットマイスター)

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