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「自然」に魅せられて
消えた江戸のトウガラシが現代によみがえる
成田重行(「内藤とうがらしプロジェクト」リーダー)
かつて江戸で大流行しながら、「鷹の爪」人気の陰で、いつのまにかすたれてしまった「内藤とうがらし」。懐かしい辛さを再発見し、よみがえらせたのは、一人の男性の執念だった。
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「地元では内藤とうがらしのプランターを置いてくれる人が増えました」

新宿ゆかりの伝統野菜
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江戸時代、新宿名物だったにもかかわらず、絶えてしまった「内藤とうがらし」が、最近復活したという。なぜ「内藤」の名を冠し、新宿で盛んにつくられたのか。
成田

いまの新宿御苑一帯は、もともと徳川の家臣・内藤家2代目の清成が家康から拝領した土地です。信州高遠城主となった7代目の清枚(きよかず)の頃には江戸屋敷の一つである下屋敷になり、敷地内の菜園では他の野菜と一緒にトウガラシも栽培されていました。ちょうどその頃、幕府が内藤家の領地の一部を返上させてつくった新しい宿場町が「内藤新宿」です。それで物流が盛んになり、当時江戸で蕎麦がブームになったこともあって、内藤とうがらしは薬味として一躍人気を集め、近郊の農家もどんどんつくり始めたのです。江戸後期には秋になると、新宿一帯に広がるトウガラシ畑が真っ赤な絨毯を敷きつめたようになったそうです。

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そもそも「内藤とうがらし」とはどんなトウガラシで、どうして消滅してしまったのだろうか。
成田

内藤とうがらしは葉の上に上向きに房状の実をたくさん付ける「八房(やつふさ)とうがらし」の一種で、江戸中期の天才学者、平賀源内がまとめたトウガラシの図鑑『蕃椒譜(ばんしょうふ)』にもその姿形が描かれています。辛みが優しく、赤く熟す前にも葉トウガラシや青トウガラシとして楽しめます。

その後、内藤新宿は宅地化が進み、トウガラシ畑は甲州街道や青梅街道に沿って西へと移動していきます。さらに、追い討ちをかけたのが「鷹の爪」の出現でした。刺激的な辛さの鷹の爪の人気の陰で、内藤とうがらしを栽培する農家は減り、やがて新宿から消えてしまったのです。

内藤家の屋敷跡は1906年に新宿御苑となり、いまや都心の貴重な緑地に。苑内の花壇(左)では地元高校生の手で植栽がおこなわれている。手前の緑の株が内藤とうがらし

種を探して東奔西走
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それにしても、なぜこんなプロジェクトを始めたのか。
成田

定年までグローバル企業で、工場も利益も社員数も「大きいこと」を絶対条件に仕事をしてきたので、退職後は「小さいこと」のすばらしさをベースに物事を見てみようと考え、小さな町や村の地域おこしに携わりました。テーマは「食」です。食文化を調べていくと、その地域を知ることができるんです。

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全国約30カ所の地域振興に携わった実績を買われ、会社があるお膝元の新宿の地域振興にも手を貸すことになった成田さんは、図書館で新宿の食文化について徹底的に調べた。
成田

地域の図書館には昔の豪商や名主の「家禄」が残っていて、どこで何が収穫できて、お祭りでどんな料理が出たといった細かいことが全部出ています。それで、かつて新宿で内藤とうがらしが栽培されていたことを突き止めました。2010年1月、その調査結果を新宿御苑で展示したところ、前区長をはじめ、大勢が興味を示してくれ、復活の気運が高まって、「内藤とうがらしプロジェクト」が発足したのです。

白くて可憐な花。上向きについた青い実は真夏の日を浴びて赤く熟す
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次なる課題は内藤とうがらしの種探しだった。
成田

最初は三河や高遠など、内藤家のルーツを訪ねましたが、なかなか見つからない。新宿内藤町に住む内藤家17代当主に話を聞くと、種はお殿様が命じてどこかから持ってきたわけではなく、小作人が勝手につくっていた在来種だろうと言われました。そこで再度調べ直し、つくば市にある農水省の農業生物資源ジーンバンクから、貴重な種を7粒分けていただくことができました。

3年間かけてつくった固定種を毎年契約農家に提供している
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じつは成田さんは、NHKの番組で講師まで務めるほどの蕎麦打ち名人。山梨県の蕎麦栽培用の畑を使って、たった7粒の種から3年がかりで実生選抜を繰り返し、内藤とうがらしの「固定種」をつくり上げることに成功。13年、「江戸東京野菜」に認定された。
成田

14年からはまず小学校で、4年生の総合学習を通じ、内藤とうがらしに親しみながら学ぶという授業が始まりました。歴史を学び、苗を栽培し、加工品をつくって販売し、年1回、新宿区の全小学校が集まって「とうがらしサミット」を開く。それを7年間続けるうちに、父兄にも次第に新宿の内藤とうがらしに関する知識が浸透してきました。

そうすると、伊勢丹や髙島屋といった商業の人たちも注目し、イベントを開催してくれるようになりました。メーカーもお菓子や調味料など、内藤とうがらしを使った商品をぜひつくらせてほしいという。いまでは毎年秋に新宿で大々的に「内藤とうがらしフェア」が開かれ、大手の老舗や百貨店はもちろん、高田馬場のバルなど、小さな店舗もみんなで応援してくれています。


辛さよりも旨味がまさる
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ゆかりの地である新宿御苑でも、都立新宿高校の生徒たちが花壇に内藤とうがらしを植えて水やりなどをおこなう一方、苑内のレストランも内藤とうがらしを使ったさまざまな料理やデザートを提供している。
成田
18年にはこうした一連の活動が実を結び、「内藤とうがらし」が特許庁の「地域団体商標」に登録され、これで名実ともに新宿が誇るブランドになりました。現在、内藤とうがらしは三鷹市、小平市、練馬区など10軒ほどの農家に、毎年、原種の種を渡して生産してもらっています。東京の農家は敷地が狭いので、葉トウガラシ、青トウガラシ、赤トウガラシと、出荷段階別に異なる農家にお願いして、短期間で収穫を終えられるように工夫しています。
毎年10月4日は「とうがらしの日」。地元ではさまざまなイベントがおこなわれる
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かつて鷹の爪に比べて辛味にパンチが足りず、衰退した内藤とうがらしだが、他のトウガラシにはない魅力とは?
成田
いまでも黒ごまや粉山椒など、7種の材料を調合する七味唐辛子の口上売りを縁日で見かけますが、あの口上の中には「内藤新宿八房の焼きとうがらし」と、もう一つ、唐辛子の粉が入っています。なぜ七つのうち、二つも唐辛子があるのかと疑問に思い、調べていくうちに、内藤とうがらしは風味や香りを加える素材だとわかってきました。それを証明するために成分分析をしたところ、他のトウガラシに比べて、辛み成分のカプサイシンは少ない一方、旨味成分のアミノ酸が非常に多いことがわかったんです。たとえば、乾燥した内藤とうがらしを一晩入れた水で炊いたごはんの上に塩昆布を載せると、旨味成分が倍加されて、ぐんとおいしくなる。これを「呈味(ていみ)」といい、この特性を生かした駅弁やデザートが続々開発されています。
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いまや官・民・学が一体となって盛り立て、新たな新宿名物になりつつある内藤とうがらしは、今後どこへ向かおうとしているのか。
成田
活動の目的は、新宿区の住民に、自分の町に誇りを持ってもらうことです。毎年、区民に苗を販売していますが、もっと数を増やしていきたい。一家に一鉢、内藤とうがらしを楽しんで育てながら使っていくことで、新宿の歴史や文化に誇りをもつ。それが定着していけば、新宿の新たな物語になると思っています。
Profile

なりた・しげゆき 1942年東京都生まれ。大学卒業後、立石電機(現・オムロン)に入社、1991年常務取締役に就任。退職後の2001年、ナルコーポレーションを設立。地域開発プロデューサーとして全国各地の地域振興を手掛ける。数年間の調査を経て、10年「内藤とうがらしプロジェクト」を立ち上げる。
地元企業による商品開発もさかん。写真は七味唐辛子とワインに合うラスク
CONTENTS
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コンテンツ
・野生ラッコ復活を見守る岬の番人  片岡義廣(写真家、NPO法人エトピリカ基金理事長 )
・大樹が見せてくれる希望 ジョン・ギャスライト(農学博士、ツリークライマー)
・コウノトリ、再び日本の空へ 松本 令以(獣医師)
・果樹の国から発信日本初の「4パーミル」活動 坂内 啓二(山梨県農政部長)
・ササを守り、京文化を次世代へ 現役囃子方研究者の挑戦 貫名 涼(京都大学大学院助教)
・葦船を編めば世界も渡れる 石川 仁(探検家・葦船航海士)
・虫目線で見た神の森 伊藤 弥寿彦(自然史映像制作プロデューサー)
・親子四代「ホーホケキョ!」いのちの響きを伝えたい 江戸家 小猫(動物ものまね芸)
・「長高水族館」は本日も大盛況! 重松 洋(愛媛県立長浜高校教諭)
・走れQ太! 森を守るシカ追い犬 三浦 妃己郎(林業家)
・消えた江戸のトウガラシが現代によみがえる 成田 重行(「内藤とうがらしプロジェクト」リーダー)
・山里のくらしを支える石積みの技 真田 純子
・溺れるカエルを救いたい!秘密兵器を開発した少女 藤原 結菜
・音楽界に革新!?クモの糸でストラディバリウスの音色に挑む 大﨑 茂芳
・ふるさとの空に赤トンボを呼び戻す 前田 清悟(NPO法人たつの・赤トンボを増やそう会理事長)
・大自然がくれた至福の味 カニ漁師奮戦記 吉浜 崇浩(カニ漁師、株式会社「蟹蔵」代表)
・カラスを追い払うタカ─害鳥対策の現場から 石橋 美里(鷹匠)
・タカの渡りを追う 久野 公啓(写真家、渡り鳥研究家)
・微生物が創り出す極上ワイン 中村 雅量(奥野田葡萄酒醸造株式会社 代表取締役)
・「海藻の森づくり」で海も人も健康に 佐々木 久雄(NPO法人 環境生態工学研究所理事)
・大学をニホンイシガメの繁殖地に 楠田 哲士(岐阜大学応用生物科学部准教授)
・面白くて、おいしい「キッチン火山実験」 林 信太郎(秋田大学教授、秋田大学附属小学校校長)
・世界で唯一、エビとカニの水族館 森 拓也(すさみ町立エビとカニの水族館館長)
・都会の真ん中に“山”をつくる 田瀬 理夫(造園家、プランタゴ代表)
・一粒万倍 美味しい野菜はタネが違う 野口 勲(野口のタネ/野口種苗研究所代表)
・都市の里山に宿る神々 ケビン・ショート(ナチュラリスト、東京情報大学教授)
・ムササビ先生、今夜も大滑空観察中 岡崎 弘幸(中央大学附属中学校・高等学校教諭)
・保津川下り400年─清流を守る船頭の心意気 森田 孝義(船士)
・小笠原の「希少種を襲うノネコ」引っ越し大作 小松 泰史(獣医師)
・チリモンを探せ! 藤田 吉広(きしわだ自然資料館専門員)
・スズメバチハンター走る! 松丸 雅一(養蜂家)
・東京湾のサンゴを見つめて 竹内 聖一(NPO法人 たてやま・海辺の鑑定団理事長)
・芝とシカのふしぎな関係 片山 一平(京都府立桂高校教諭)
・ドブ池ドブ川奇跡の復活炭博士が行く 小島 昭(群馬工業高等専門学校特命教授)
・「木一本、鰤(ぶり)千本」─豊かな海を育んだ海底湧水の秘密 張 勁(富山大学教授)
・わくわくドキドキ! 夏の夜の生きもの探し 佐々木洋(プロ・ナチュラリスト)
・かわいい変顔 虫目で見つけた! 鈴木海花(フォトエッセイスト)
・癒しの森でいのちを洗う 降矢英成(心療内科医)
・ブナの山が育てた神の魚 杉山秀樹(秋田県立大学客員教授)
・自然と調和する酪農郷 二瓶 昭(酪農家、NPO法人えんの森理事長)
・漁師が見た琵琶湖 戸田直弘(漁師)
・田んぼの恵みはお米だけじゃない 石塚美津夫(NPO法人「食農ネットささかみ」理事長)
・「結」の心を伝えたい 和田利治(屋根葺き技術士)
・多摩川復活の夢 山崎充哲(淡水魚類・魚道研究家)
・モイヤー博士の愛した島 中村宏治(水中カメラマン)
・白神山地が育む奇跡の菌 高橋慶太郎(秋田県総合食品研究センター主席研究員)
・ありがとう、ハチゴロウ 佐竹節夫(コウノトリ湿地ネット代表)
・ヤイロチョウの森の守り人 中村滝男(生態系トラスト協会会長)
・水辺って、こんなに面白い! 井上大輔(福岡県立北九州高等学校教諭)
・地熱染め 色彩の魔術 高橋一行(地熱染色作家)
・里山っ子ばんざい! 宮崎栄樹(木更津社会館保育園園長)
・金沢和傘の伝統を引き継ぐ 間島 円(和傘職人)
・「竹のこころ」を伝えたい ジョン・海山・ネプチューン
・クマのクーちゃん 人工冬眠大作戦! 小宮輝之(上野動物園 園長)
・まつたけ十字軍がゆく 吉村文彦(まつたけ十字軍運動代表)
・氷の匠──冬に育む夏の美味 阿左美哲男(天然氷蔵元)
・日本でただひとりのカエル捕り名人 大内一夫(カエル販売業)
・「村の鍛冶屋」の火を守る 野口廣男(鍛冶職人)
・杉線香づくり100年 駒村道廣(線香職人)
・空師(そらし)──伐って活かす巨木のいのち 熊倉純一
・日本ミツバチに学んだこと 藤原誠太
・満天の星に魅せられて 小千田節男
・ブドウ畑に実る夢 ブルース・ガットラヴ
・タゲリ舞う里を描いて 森上義孝
・ホタル博士、水辺を想う 大場信義
・左官は「風景」を生み出す職人 挟土秀平
・僕は「SATOYAMA」の応援団長 柳生 博
ムツカケ名人に学ぶ──豊穣の海に伝わる神業漁法 岡本忠好
・イチローの バットを作った男 久保田五十一(バットマイスター)

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