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「甘い」という言葉ではとても足りない。藤原さんにすすめられて初めて口にした日本ミツバチの蜜の味は、驚くほど濃く、深く、そして優しかった。この味わいを、私たちはいつから忘れてしまったのか。
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藤原
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「明治初期までは、日本で蜂蜜といえばこれだったんですよ。ところが近代養蜂の技術とともに、欧米から西洋ミツバチが入ってくると、伝統的な養蜂は急速に廃れていきました。在来種より飼いやすく、蜜の生産量が多いという理由で、各地の養蜂家はこぞって西洋種を導入したのです。日本ミツバチは、野山の片隅に追いやられてしまいました。『蜜を集めない』とか『神経質ですぐ逃げる』とか言われてね。私も以前はそう思っていましたが、本格的に飼育してみて、それがとんでもない誤解だとわかったんです」
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いまでこそ「在来種による日本ならではの養蜂」を追求する藤原さんだが、養蜂家を志した頃は、むしろ海外に目を向けていたという。大学時代には、1年間かけてブラジルなどを遊学し、現地の広大な自然のなかで、大規模養蜂を営む夢を膨らませた。
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藤原
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「そうすれば、尊敬する祖父を超えられると思っていたんです。ところが私はもともと、1匹のミツバチに刺されただけで生命の危険に陥るほどの、ひどいハチアレルギーでした。幸いにも南米に渡る直前、わざとミツバチに何度も刺されるという荒療治で克服できたのですが、そんな危険を冒してでも、向こうで大規模養蜂をやってみたかった。でも結局、移住は思いとどまりました。理由ですか? いろいろありますが、一番はやはり日本ミツバチに出会ったことに尽きますね」
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