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「自然」に魅せられて
炭化した剪定枝。果樹生産の廃棄物が貴重な存在に大変身
果樹の国から発信 日本初の「4パーミル」活動
坂内啓二(山梨県農政部長)

ブドウ、モモ、スモモの生産量がそれぞれ日本一の果樹王国、山梨県。大量に出る果樹の剪定枝を、温暖化抑制の武器にする――ユニークな試みの仕掛人がその狙いを明かす。


温暖化で果樹にも影響が
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山梨県は日本でも有数の日照時間の長い地域。その気候を生かし、ブドウ、モモ、スモモをはじめ、多様な果物が生産されている。農業生産額の半分以上を果実が占める。しかし近年は、果樹の栽培も温暖化による高温の影響を受けるようになってきた。
坂内

たとえば黒系ブドウが着色不良で淡い色になってしまう害などが出ています。果樹は昼と夜の気温差が大きいほうがよいのですが、最近は熱帯夜が多いので色づきが悪くなるのですね。これに対して、高温に強い品種に改良したり、標高の高い地域で栽培したり、といった対策が講じられてきました。農業分野では、温暖化に対するこうした適応策はいろいろ考えられているのですが、これはいわば対症療法で、温暖化そのものを防ぐ抑制策はほとんどおこなわれていないのが現状です。そこで、農業分野でも何かできることはないかと考えるようになりました。

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背中を押したのは、スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんの行動だったという。2019年の国連気候サミットやCOP25(国連気候変動枠組条約締約国会議)で、大人たちを告発する少女の姿は鮮烈だった。
坂内

グレタさんの演説を聞いて、私も行動しなければと思ったのです。何か思いつくと行動しないではいられないたちでして。いろいろ調べて、たどりついたのが「4パーミル・イニシアチブ」という、農業分野での温暖化抑制活動を推進する取り組みでした。これは2015年のCOP21でフランス政府が提案したもので、日本を含む500超の国や国際機関が参加しています。「4パーミル」というのは1000分の4、つまり0.4%を意味します。地球上の二酸化炭素(CO₂)の排出量から植物などが吸収する量を差し引くと、年間およそ43億tになるとされていますが、もし土壌の表層(30~40㎝)にある炭素量を年間0.4%増やすことができれば、この43億tを実質ゼロにできる、というのが4パーミル・イニシアチブの考え方です。


効率よく炭にする炭化器
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どうやって土壌中の炭素量を増やすのか。
坂内

方法はいくつかあります。たとえば不耕起栽培。耕すと微生物によって土壌中の有機物(炭素化合物)の分解が進むので、不耕起ならそれを抑えることができます。また、草は光合成して炭素を貯めますから、緑肥(肥料用の植物を畑にすき込むこと)や草生栽培(下草を除草しない果樹栽培)も、炭素を土壌に蓄積させることにつながります。土を耕してしまうと、土壌中の炭素化合物がどんどん微生物に分解されてしまいますが、下草をはやしていると、年中光合成をしていることになります。
草生栽培は山梨県では主に峡東地域(山梨市、笛吹市、甲州市)で盛んに取り組まれており、近年その価値に注目が集まっています。除草剤をまかなくてすみますし、草が風雨から土壌を守り、有用な微生物が増えることで土壌を豊かにすることができます。もちろん生物多様性も確保されます。これらの方法に加えて、私たちがとくに着目したのは、果樹の剪定枝を炭にする方法です。

農政部長として緑に輝くシャインマスカットのかぶりもの姿で登場することも
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ほんの小さな枝まで灰にならず、きちんと炭になっている
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ブドウやモモの剪定は基本的には冬の作業。毎年大量の剪定枝が発生し、これを各農家が敷地内で焼却していた。
坂内

毎年、10aあたり250~350㎏ほどの剪定枝が出ます。枝には多くの炭素が含まれていますから、これを炭にすることで、炭素を半永久的に閉じ込めることができます。日本にはもともと炭文化があって、炭は保水性や透水性の改善に優れ、有用な微生物のすみかにもなるため、土壌改良剤として使われてきました。これが温暖化対策として使えるのではないかという考え方は、農研機構(国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構)で数年前に打ち出されていましたが、実際に積極的にやり始めたのは山梨県が最初です。なにしろ果樹王国ですから、大量に出る剪定枝を無駄にしない方法があれば、ぜひ実施したいわけです。県知事が後押ししてくださったのも大きな力になりました。

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剪定枝を炭にするには独特の炭化器を使う。
坂内

長野県内で焼却炉や薪ストーブなどを製造している企業が特許をとっている炭化器で、熱効率がよく、煙があまり出ません。ふつう、木材などの炭素化合物を加熱すると、酸素と結合して二酸化炭素になります。これがいわゆる「燃焼」です。しかし、酸素を遮断した状態で加熱すると、炭素化合物は分解して、揮発性の低い固体の炭素分が残る。これが炭です。炭化器を使うと、剪定枝を短時間で炭にすることができます。野焼きのように焼却した場合は、しばしば煙害が発生するのですが、この炭化器ならその心配もありません。できた炭はだいぶ細かくなっていますので、そのまま果樹の下に広げておけば、土壌改良剤として土が豊かになります。


「温暖化抑制」という付加価値
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2020年4月、山梨県は4パーミル・イニシアチブに承認された日本で最初の自治体になった。
坂内

フランスにある事務局とメールでやりとりして、申請書を送り、承認されました。海外の研究者との交流も考えていたのですが、折あしくコロナ禍で行き来ができないので、もっぱら情報発信に努めています。私がシャインマスカットのかぶりものをして英語で説明する動画も作りました。不耕起や草生栽培は世界のあちこちでおこなわれていますが、炭を使った4パーミルの活動は日本だけです。ましてや炭と草生栽培のダブルの取り組みは、なかなか真似できない山梨の強みだと思います。

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地面に炭化器を直接置き、焚き付け用に紙を入れて着火
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最初は枝に含まれた水分で煙が出るが、ほどなく勢いよく燃え始める
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上のほうで燃えている熱で下のほうが酸欠になり、下から炭化していく
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全体に白っぽくなってきたら水をかけて火を消す。野焼きより安全
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炭化器には底がないので、持ち上げれば炭が残る。ここが果樹園なら、そのまま炭を広げれば完了
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山梨県がリードして、4パーミル・イニシアチブ推進全国協議会が今年2月に発足した。参加したのは東京ほか12の県と、研究機関など7団体。その後も生産者や企業から賛同の声が増えている。
坂内

県では、この方法で生産した果物や、そのブドウを使ったワインに付加価値をつけて、ブランド販売する施策を進めています。ロゴマークもできました。剪定枝を炭化することでどれくらいCO₂を削減できるのか、試算はありますが、ただいま実際の数値を精査中です。果樹園ごとの削減量が算出できれば、そこで生産された果樹を購入することで、たとえばCO₂何tの削減につながる、というように「見える化」が可能になります。将来的には排出権取引の対象として、企業に参入してもらうこともできるようになるでしょう。

甘くておいしいだけでなく、温暖化の抑制にも貢献し、土を豊かにできるのが4パーミルブランドの果物です。今年の夏、いよいよこの果物が登場します。消費者に新しい価値を提供できるのが楽しみです。
この日、実験に使った剪定枝は37.5kg。膨大な量だが、上から枝を積み重ねていくと、どんどん炭になっていく
山梨県総合農業技術センターでは、剪定枝を樹種ごとにまとめ、樹種による炭化の仕方の違いを調べている
専用のロゴマーク。茶色は土を、緑色は山梨のYに着想した幹を、カラフルな円はブドウやモモなどの農産物を表現している
Profile

ばんない・けいじ 1972年福島県生まれ。東京大学経済学部卒。農林水産省入省後、政策研究大学院大学で開発経済学修士課程を修了。2018年山梨県に出向、19年より現職。学習支援のボランティア活動にも取り組み、勉強法を伝授するコラムを地元紙に執筆。
CONTENTS
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コンテンツ
・野生ラッコ復活を見守る岬の番人  片岡義廣(写真家、NPO法人エトピリカ基金理事長 )
・大樹が見せてくれる希望 ジョン・ギャスライト(農学博士、ツリークライマー)
・コウノトリ、再び日本の空へ 松本 令以(獣医師)
・果樹の国から発信日本初の「4パーミル」活動 坂内 啓二(山梨県農政部長)
・ササを守り、京文化を次世代へ 現役囃子方研究者の挑戦 貫名 涼(京都大学大学院助教)
・葦船を編めば世界も渡れる 石川 仁(探検家・葦船航海士)
・虫目線で見た神の森 伊藤 弥寿彦(自然史映像制作プロデューサー)
・親子四代「ホーホケキョ!」いのちの響きを伝えたい 江戸家 小猫(動物ものまね芸)
・「長高水族館」は本日も大盛況! 重松 洋(愛媛県立長浜高校教諭)
・走れQ太! 森を守るシカ追い犬 三浦 妃己郎(林業家)
・消えた江戸のトウガラシが現代によみがえる 成田 重行(「内藤とうがらしプロジェクト」リーダー)
・山里のくらしを支える石積みの技 真田 純子
・溺れるカエルを救いたい!秘密兵器を開発した少女 藤原 結菜
・音楽界に革新!?クモの糸でストラディバリウスの音色に挑む 大﨑 茂芳
・ふるさとの空に赤トンボを呼び戻す 前田 清悟(NPO法人たつの・赤トンボを増やそう会理事長)
・大自然がくれた至福の味 カニ漁師奮戦記 吉浜 崇浩(カニ漁師、株式会社「蟹蔵」代表)
・カラスを追い払うタカ─害鳥対策の現場から 石橋 美里(鷹匠)
・タカの渡りを追う 久野 公啓(写真家、渡り鳥研究家)
・微生物が創り出す極上ワイン 中村 雅量(奥野田葡萄酒醸造株式会社 代表取締役)
・「海藻の森づくり」で海も人も健康に 佐々木 久雄(NPO法人 環境生態工学研究所理事)
・大学をニホンイシガメの繁殖地に 楠田 哲士(岐阜大学応用生物科学部准教授)
・面白くて、おいしい「キッチン火山実験」 林 信太郎(秋田大学教授、秋田大学附属小学校校長)
・世界で唯一、エビとカニの水族館 森 拓也(すさみ町立エビとカニの水族館館長)
・都会の真ん中に“山”をつくる 田瀬 理夫(造園家、プランタゴ代表)
・一粒万倍 美味しい野菜はタネが違う 野口 勲(野口のタネ/野口種苗研究所代表)
・都市の里山に宿る神々 ケビン・ショート(ナチュラリスト、東京情報大学教授)
・ムササビ先生、今夜も大滑空観察中 岡崎 弘幸(中央大学附属中学校・高等学校教諭)
・保津川下り400年─清流を守る船頭の心意気 森田 孝義(船士)
・小笠原の「希少種を襲うノネコ」引っ越し大作 小松 泰史(獣医師)
・チリモンを探せ! 藤田 吉広(きしわだ自然資料館専門員)
・スズメバチハンター走る! 松丸 雅一(養蜂家)
・東京湾のサンゴを見つめて 竹内 聖一(NPO法人 たてやま・海辺の鑑定団理事長)
・芝とシカのふしぎな関係 片山 一平(京都府立桂高校教諭)
・ドブ池ドブ川奇跡の復活炭博士が行く 小島 昭(群馬工業高等専門学校特命教授)
・「木一本、鰤(ぶり)千本」─豊かな海を育んだ海底湧水の秘密 張 勁(富山大学教授)
・わくわくドキドキ! 夏の夜の生きもの探し 佐々木洋(プロ・ナチュラリスト)
・かわいい変顔 虫目で見つけた! 鈴木海花(フォトエッセイスト)
・癒しの森でいのちを洗う 降矢英成(心療内科医)
・ブナの山が育てた神の魚 杉山秀樹(秋田県立大学客員教授)
・自然と調和する酪農郷 二瓶 昭(酪農家、NPO法人えんの森理事長)
・漁師が見た琵琶湖 戸田直弘(漁師)
・田んぼの恵みはお米だけじゃない 石塚美津夫(NPO法人「食農ネットささかみ」理事長)
・「結」の心を伝えたい 和田利治(屋根葺き技術士)
・多摩川復活の夢 山崎充哲(淡水魚類・魚道研究家)
・モイヤー博士の愛した島 中村宏治(水中カメラマン)
・白神山地が育む奇跡の菌 高橋慶太郎(秋田県総合食品研究センター主席研究員)
・ありがとう、ハチゴロウ 佐竹節夫(コウノトリ湿地ネット代表)
・ヤイロチョウの森の守り人 中村滝男(生態系トラスト協会会長)
・水辺って、こんなに面白い! 井上大輔(福岡県立北九州高等学校教諭)
・地熱染め 色彩の魔術 高橋一行(地熱染色作家)
・里山っ子ばんざい! 宮崎栄樹(木更津社会館保育園園長)
・金沢和傘の伝統を引き継ぐ 間島 円(和傘職人)
・「竹のこころ」を伝えたい ジョン・海山・ネプチューン
・クマのクーちゃん 人工冬眠大作戦! 小宮輝之(上野動物園 園長)
・まつたけ十字軍がゆく 吉村文彦(まつたけ十字軍運動代表)
・氷の匠──冬に育む夏の美味 阿左美哲男(天然氷蔵元)
・日本でただひとりのカエル捕り名人 大内一夫(カエル販売業)
・「村の鍛冶屋」の火を守る 野口廣男(鍛冶職人)
・杉線香づくり100年 駒村道廣(線香職人)
・空師(そらし)──伐って活かす巨木のいのち 熊倉純一
・日本ミツバチに学んだこと 藤原誠太
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・ブドウ畑に実る夢 ブルース・ガットラヴ
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