bar
文字サイズ
「自然」に魅せられて
微生物が創り出す極上ワイン 中村雅量(奥野田葡萄酒醸造株式会社 代表取締役)
日本では不可能といわれていたヨーロッパ系ワインのぶどう品種の栽培に成功。10年の試行錯誤の末に誕生したヴァンナチュレール(自然派ワイン)──栽培のポリシーは、「自然の力を人がいかに引き出すか」にあった。
[photo][photo][photo]

「ぶどうの産地」から「ワインの産地」へ
── 
シャルドネ、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロといえば、ワイン好きなら誰もが知っているヨーロッパを代表するワイン醸造用のぶどう品種である。世界に誇れる高品質のワインを造りたい……中村さんがこれらの品種の栽培を手がけるきっかけをつかんだのは、大学卒業後、勝沼の老舗ワイナリーに入社して数年たった26歳のときだった。
中村
ぶどう農家が自家消費用のワインを造るのに使っていた地域の醸造所を引き継いでくれないか、という話を持ちかけられまして。高齢になり、維持するのが難しくなったというのが理由でした。勤務先の社長も背中を押してくれて、独立を決心したのです。その頃の日本のワインといえば、嗜好品というより、生食用のぶどうの余りで造った、お土産用のワインといったほうがふさわしい代物でした。なんとか本格的なワインを造れないか。ぼくが触発されたのはカリフォルニアワインの試みです。西海岸では、長く在来種を使ったワイン造りをしてきたのですが、1980年代半ばから、世界市場を意識して、シャルドネほかヨーロッパのメジャー品種の栽培を始めます。3種に特化して質の高いワインを造ることで、自分たちの産地のポテンシャルをアピールしたのです。日本で同じことをしようと思っても、多くの従業員を抱えるワイナリーではリスクがあってできない。輸入ぶどうを使って醸造するほうが経営が安定するからです。でも、ぼく一人なら失うものもないし、できないことはない、と。
── 
ワイナリーのオーナーになったとはいえ、まだ栽培のための設備投資をする余裕はない。在来の甲州種と古くから日本でワイン用に使われていた国産ぶどうを仕入れて醸造を続けた。10年経ち、金融機関に信用ができた頃、チャンスは向こうからやってきた。
中村
「遊休農地があるから、そこを借りて、ぶどうを栽培してみないか」というわけです。じつはこの少し前まで、ぶどう栽培をしようにも規制があって、農業経験があるか、農地を所有している者でなければ農業はできなかったんです。それでは高齢化で農業は衰退するばかり。そこで新規参入を進めるために、農業生産法人という考え方を導入したのが小泉元首相です。運よくちょうどそのときに遭遇して、県内第1号の農業生産法人になりました。
[photo]
自然農法へのこだわりが凝縮した逸品──「時間をかけ、低温でゆっくり発酵させたワインは、明らかに香りや味わい、余韻が違います」

適度のストレスがぶどうを甘くする
── 
ヨーロッパとはまるで気候風土の違う甲府盆地で、なぜメジャー品種の栽培が可能だったのか。
中村
ヨーロッパに多い石灰土壌というのは、ぶどうの栄養の吸収を阻害するので、いつもぶどうはお腹が空いた状態におかれます。しかも雨量が少ないですから、ぶどうは地下から栄養になるミネラル分を含んだ水分を吸い上げようと努力します。つまり痩せた大地がぶどうの木に心地よいストレスを与えることで、リッチなぶどうを実らせるのです。甲府盆地は正反対。土壌は肥沃で雨が多い。さらに強い日差しと高い気温が地温を上げる。養分、水分、温度の三拍子が揃っていて、pH値はややアルカリ性で安定している。となれば当然のこと、土壌の微生物が異常に繁殖しますね。ちなみに微生物の数でいうと、ヨーロッパの土壌は1立方cmに10の8乗個、いま、うちの畑の微生物は10の11乗個、桁違いの数です。微生物というのは、菌体の中に養分を貯蔵して固定化する性質があります。これだけの数の微生物が地中の養分を固定化し始めれば、ぶどうの木は、必然的にお腹が空いた状態におかれます。つまり、ぶどうにとってプアな土壌が、微生物たちによって擬似的に作り出されているわけです。ヨーロッパと条件は異なりますが、心地よいストレスを与えるという点では、同じなんです。
── 
中村さんの圃場では、この20年間一度も肥料を施したり、殺虫剤を撒いたことはない。無肥料・不耕起が原則だ。
中村
畑の草を低く管理すると、クローバーなど背の低いマメ科の植物が元気になってきます。マメ科の植物は大気中の窒素をとらえて根に貯め込む習性があるんです。しかも発芽から枯れるまでのライフサイクルが早く、枯れた根には窒素養分が残り、そこが空洞化して自然に空気が入るんです。その空洞になったところに、好気性の土壌微生物が住み込んで繁殖する。だから、畑を耕起して空気を入れる必要などないんです。
── 
微生物が繁殖するということは、昆虫類も増える。ぶどうの葉が被害に遭うことはないのだろうか。
中村
いつも少しお腹が空いているぶどうの葉は、昆虫にとって魅力がないので手を出しません。でも葉の柔らかいマメ科の植物には昆虫が寄って来ます。その昆虫を今度は小鳥が食べに来る。そういう畑にするには、マメ科の植物が背の高い雑草に負けずに育つよう、下草を管理しなければならないので、殺虫剤を撒いたり、肥料を施したりするより、よっぽど手間がかかりますよ。でもこうした自然の生態環境を維持することで、収穫量は少ないけど熟度の高いぶどうが獲れ、美味しいワインが造れるんです。
[photo]
斜面につくられたシャルドネの圃場。畝は、一日をとおして均等に陽の光が当たるように、すべて真南に向いている。ほかにメルロ、カベルネ・ソーヴィニヨン(垣根栽培)、デラウェア(棚栽培)が植えられている

野生酵母の働きをじゃましない
── 
ワイン造りの際に中村さんが使うのは、ぶどうの粒につく野生酵母のみ。ワイン醸造用に選抜培養した酵母を添加することはしない。
中村
ぼくの畑では、ぶどうの木が密植されています。そうすると根は横に広がっていけないので、地中深く入り込んで高ミネラルの地下水を吸い上げて、それで日光を浴びた葉を冷やそうとするんです。その結果、実の中のミネラルの濃度が高まり、pH値が下がって、果汁は放っておいても酸化しにくくなるんですね。こうして収穫されたぶどうだからこそ、酸化防止の材料を極限まで減らしたワイン醸造が可能になるんです。よく勘違いしている人がいますが、酸化防止の材料の多寡が人体に影響を及ぼすことはありません。ただ、ぼくがそれをできるだけ使いたくないのは、ぶどうにくっついている野生酵母にダメージを与えずに健全に発酵してもらうためです。pH値を下げる努力をしていないぶどうでも、酸化防止の材料を使わずにワインを醸造することは可能です。でも、それは抜栓直後から酸化してしまいます。畑に住んでいたカベルネ・ソーヴィニヨンが大好きな野生酵母が、ゆっくりもろみのなかで発酵していく……そんなヴァンナチュレール(自然派ワイン)を造りたいんです。ですから、たくさんは造れません。いまこのワイナリーは、ぼくを含めて4人。年間せいぜい4万本が限度です。
[photo]
「少量でも高品質のワインを造る」のがポリシー。選抜酵母を使えば4日ほどで発酵するが、野生酵母だと40日以上かかる。したがってタンク(上)が使えるのは年に1回
[photo]
カビの発生などの病害に、いち早く対処できるよう、ぶどう畑にはセンサーが設置(富士通グループ提供)されている。温度、湿度などの計測データは、10分間隔、24時間、端末に自動送信される
[photo]
殺虫剤を使わないのは、畑に住む微生物にダメージを与えないためだ
── 
最初のぶどうの収穫は、作付けしてから2年後だった。でも納得できる味わいのワインがすぐにできたわけではない。
中村
劇的に変化したのは、ぶどうの樹齢が10年を超えた頃です。まさにパッキーンという感じ(笑)。表土から花崗岩、その下の甲州御影石へと根が入っていくわけですが、地下の石の間を流れるミネラル水に届いた瞬間、ぶどうの根が「はい! 届きました」と。そうしたらpH値が下がって、自然にいい香りが出てきたんです。2008年でしたか。そのワインを初めて世に送り出したのが2011年ですから、この6〜7年で、それまでの負債を返済しているというところです(笑)。
Profile

なかむら・まさかず 1962年山梨県生まれ。東京農業大学で微生物学を学んだ後、中央葡萄酒に入社。89 年に独立、奥野田葡萄酒醸造を引き継ぐ。98 年、農業生産法人「夢郷葡萄研究所」を設立、念願の欧州系ワイン用ぶどう品種の栽培に着手。不耕起、無農薬を基本に収穫されたぶどうから造られた自然派ワインは内外から高い評価を受けている。
CONTENTS
------------------------------
コンテンツ
・野生ラッコ復活を見守る岬の番人  片岡義廣(写真家、NPO法人エトピリカ基金理事長 )
・大樹が見せてくれる希望 ジョン・ギャスライト(農学博士、ツリークライマー)
・コウノトリ、再び日本の空へ 松本 令以(獣医師)
・果樹の国から発信日本初の「4パーミル」活動 坂内 啓二(山梨県農政部長)
・ササを守り、京文化を次世代へ 現役囃子方研究者の挑戦 貫名 涼(京都大学大学院助教)
・葦船を編めば世界も渡れる 石川 仁(探検家・葦船航海士)
・虫目線で見た神の森 伊藤 弥寿彦(自然史映像制作プロデューサー)
・親子四代「ホーホケキョ!」いのちの響きを伝えたい 江戸家 小猫(動物ものまね芸)
・「長高水族館」は本日も大盛況! 重松 洋(愛媛県立長浜高校教諭)
・走れQ太! 森を守るシカ追い犬 三浦 妃己郎(林業家)
・消えた江戸のトウガラシが現代によみがえる 成田 重行(「内藤とうがらしプロジェクト」リーダー)
・山里のくらしを支える石積みの技 真田 純子
・溺れるカエルを救いたい!秘密兵器を開発した少女 藤原 結菜
・音楽界に革新!?クモの糸でストラディバリウスの音色に挑む 大﨑 茂芳
・ふるさとの空に赤トンボを呼び戻す 前田 清悟(NPO法人たつの・赤トンボを増やそう会理事長)
・大自然がくれた至福の味 カニ漁師奮戦記 吉浜 崇浩(カニ漁師、株式会社「蟹蔵」代表)
・カラスを追い払うタカ─害鳥対策の現場から 石橋 美里(鷹匠)
・タカの渡りを追う 久野 公啓(写真家、渡り鳥研究家)
・微生物が創り出す極上ワイン 中村 雅量(奥野田葡萄酒醸造株式会社 代表取締役)
・「海藻の森づくり」で海も人も健康に 佐々木 久雄(NPO法人 環境生態工学研究所理事)
・大学をニホンイシガメの繁殖地に 楠田 哲士(岐阜大学応用生物科学部准教授)
・面白くて、おいしい「キッチン火山実験」 林 信太郎(秋田大学教授、秋田大学附属小学校校長)
・世界で唯一、エビとカニの水族館 森 拓也(すさみ町立エビとカニの水族館館長)
・都会の真ん中に“山”をつくる 田瀬 理夫(造園家、プランタゴ代表)
・一粒万倍 美味しい野菜はタネが違う 野口 勲(野口のタネ/野口種苗研究所代表)
・都市の里山に宿る神々 ケビン・ショート(ナチュラリスト、東京情報大学教授)
・ムササビ先生、今夜も大滑空観察中 岡崎 弘幸(中央大学附属中学校・高等学校教諭)
・保津川下り400年─清流を守る船頭の心意気 森田 孝義(船士)
・小笠原の「希少種を襲うノネコ」引っ越し大作 小松 泰史(獣医師)
・チリモンを探せ! 藤田 吉広(きしわだ自然資料館専門員)
・スズメバチハンター走る! 松丸 雅一(養蜂家)
・東京湾のサンゴを見つめて 竹内 聖一(NPO法人 たてやま・海辺の鑑定団理事長)
・芝とシカのふしぎな関係 片山 一平(京都府立桂高校教諭)
・ドブ池ドブ川奇跡の復活炭博士が行く 小島 昭(群馬工業高等専門学校特命教授)
・「木一本、鰤(ぶり)千本」─豊かな海を育んだ海底湧水の秘密 張 勁(富山大学教授)
・わくわくドキドキ! 夏の夜の生きもの探し 佐々木洋(プロ・ナチュラリスト)
・かわいい変顔 虫目で見つけた! 鈴木海花(フォトエッセイスト)
・癒しの森でいのちを洗う 降矢英成(心療内科医)
・ブナの山が育てた神の魚 杉山秀樹(秋田県立大学客員教授)
・自然と調和する酪農郷 二瓶 昭(酪農家、NPO法人えんの森理事長)
・漁師が見た琵琶湖 戸田直弘(漁師)
・田んぼの恵みはお米だけじゃない 石塚美津夫(NPO法人「食農ネットささかみ」理事長)
・「結」の心を伝えたい 和田利治(屋根葺き技術士)
・多摩川復活の夢 山崎充哲(淡水魚類・魚道研究家)
・モイヤー博士の愛した島 中村宏治(水中カメラマン)
・白神山地が育む奇跡の菌 高橋慶太郎(秋田県総合食品研究センター主席研究員)
・ありがとう、ハチゴロウ 佐竹節夫(コウノトリ湿地ネット代表)
・ヤイロチョウの森の守り人 中村滝男(生態系トラスト協会会長)
・水辺って、こんなに面白い! 井上大輔(福岡県立北九州高等学校教諭)
・地熱染め 色彩の魔術 高橋一行(地熱染色作家)
・里山っ子ばんざい! 宮崎栄樹(木更津社会館保育園園長)
・金沢和傘の伝統を引き継ぐ 間島 円(和傘職人)
・「竹のこころ」を伝えたい ジョン・海山・ネプチューン
・クマのクーちゃん 人工冬眠大作戦! 小宮輝之(上野動物園 園長)
・まつたけ十字軍がゆく 吉村文彦(まつたけ十字軍運動代表)
・氷の匠──冬に育む夏の美味 阿左美哲男(天然氷蔵元)
・日本でただひとりのカエル捕り名人 大内一夫(カエル販売業)
・「村の鍛冶屋」の火を守る 野口廣男(鍛冶職人)
・杉線香づくり100年 駒村道廣(線香職人)
・空師(そらし)──伐って活かす巨木のいのち 熊倉純一
・日本ミツバチに学んだこと 藤原誠太
・満天の星に魅せられて 小千田節男
・ブドウ畑に実る夢 ブルース・ガットラヴ
・タゲリ舞う里を描いて 森上義孝
・ホタル博士、水辺を想う 大場信義
・左官は「風景」を生み出す職人 挟土秀平
・僕は「SATOYAMA」の応援団長 柳生 博
ムツカケ名人に学ぶ──豊穣の海に伝わる神業漁法 岡本忠好
・イチローの バットを作った男 久保田五十一(バットマイスター)

ご利用にあたってプライバシーポリシー
Copyright(C) 2000-2019 Seven-Eleven Foundation All Rights Reserved.