── |
コウノトリの郷公園から日本海に向かって約12km、円山川のすぐそばになみなみと水をたたえる湿地がある。「ハチゴロウの戸島湿地」──2002年に豊岡に飛来した1羽の野生コウノトリの名だ。その名は、現れた日が8月5日だったことにちなむ。
|
佐竹 |
「ハチゴロウを最初に見たときは、それは感動しましたよ。ホバリング(空中静止)を見て、なんて優雅なんや! と。コウノトリが空を舞うのを見るのは、子どもの頃以来だったからね」
|
── |
05年の放鳥から遡ること3年。豊岡ではコウノトリの人工飼育が進み、「次は自然に帰そう」というスローガンこそ人々に浸透したが、空飛ぶコウノトリの姿を見ることは久しくなかった。
|
佐竹 |
「僕らが役所で、コウノトリと共生するという理屈を100ぺん話すより、一度でも飛んでいる姿を見るほうが、よっぽど説得力がある。何人もの人たちからそういわれました。それぐらいハチゴロウが大空を舞う姿はインパクトが強かった。近くの小学校では、ハチゴロウが教室のそばを飛ぶだけで校内放送するんですよ(笑)。ハチゴロウがこの地に留まってくれたことで、放鳥に向けて自信がつきました」
|
── |
佐竹さんは90年から豊岡市役所でコウノトリ復活の運動を主導してきた、いわば陰の仕掛け人だ。しかし定年まで2年を残して08年に退職した。なぜ旗振り役である市役所を辞めて、湿地ネットの活動を始めたのか。
|
佐竹 |
「豊岡ではずっと“コウノトリ〈も〉住める街づくり”といってきました。行政も農業も教育も、あるいは川や山も、それぞれの領域で頑張っている。でも、農家が頑張ったら、あるいは川が頑張ったらコウノトリは住めるのかというと、それだけでは難しい。だから“コウノトリ〈が〉生きられる”環境とは何かを真剣に考える人間が必要なんじゃないか。一度壊れたものを蘇らせるには、そのくらいのめり込まないと、と思ったんです」
|