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柳生さんが28年かけて創られた山梨県大泉村の雑木林におじゃましています。こういう風景の中に身をおくと、はじめてなのにとても懐かしい感じがしますね。
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柳生
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うでしょう! だから、癒されるんですよ。在るべき場所に戻ってきたような気がしてね。学者によると、その懐かしさは“DNAの作用”なんだそうです。僕は自然教室などで、各地の子どもたちとよく遊ぶんだけど、雑木林も田んぼも知らない現代っ子が、こういうところへ連れてこられると言うんですよ、「懐かしい」って。面白いでしょう。民族としての遺伝子に刻み込まれているとしか考えられない。まさに日本のふるさと、原風景ですよ。この朗らかな木漏れ日も、鳥たちのさえずりも。
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愛用の鎌。草刈は早朝、草が夜露に濡れて立っているうちに刈るのがコツだとか
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柳生
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たちはよく覚えていて、僕が野良仕事の格好をして森に入ると、向こうから集まってくる。僕が野鳥の会の会長だからじゃありませんよ(笑)。土を掘ったり、草を刈ったりすると、虫が出てくるでしょう、それが目当てなんです。僕は僕で、そんな鳥たちに励まされながら、荒れ放題だったこの土地を切り開き、1本また1本とひたすら木を植えてきた。すでに1万本を超えますが、森が育つにつれて鳥たちとの共生関係も深まっていきました。最近は鳥の王といわれるイヌワシまで、この上を飛ぶようになったんですよ。 |
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雑木林がよみがえったのを知って来たのでしょうか。
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柳生
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物連鎖の頂点に立つ大型の猛禽類は、環境にすごく敏感ですからね。私は、鳥という一番目立つ動物を通して、彼らが棲む自然環境の大切さを伝えていきたい。野鳥の会の会長を引き受けたのもそういう思いからでした。僕にいわせれば、「いい環境」とは、鳥や他の生き物がずっと機嫌よく生きていける場所のこと。それは日本の場合、何といっても里山なんですね。 |
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薪割りも山での大切な日課。「得意なんです」というが早いか、一刀両断
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柳生
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さに原点ですよ。生まれ育ったのが茨城県・霞ヶ浦の近く。こういう雑木林があり、田んぼや小川もあり、集落もあるという里山の4点セットがそろった典型的な農村です。代々地主の家で、里山の維持管理を担う世話人のようなこともしていましたから、幼い頃から祖父や父に野良仕事を仕込まれ、自然の恵みの大切さや生態系のあり方を徹底的に教えられました。人間と多様な生き物が折り合いをつけながら、いい按配で共生する里山のたたずまいは、持続可能な社会の教科書のようなものでしょう。子ども心に、里山に詰まった先人の知恵の豊かさを感じたものです。 |
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近年、その里山の保護保全活動が全国各地で活発に行われています。
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柳生
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済の論理より環境や生き物の論理が先にくるなんて、いやあ、すごい時代になってきました。とくに僕がいま応援しているのが、兵庫県豊岡市で今秋行われる、人工飼育のコウノトリを人里に放すという計画です。コウノトリに棲んでもらうために里山を創り、環境に優しい農業への転換を進めている。これは、生き物の身になって、自分たちの暮らし方や生き方まで変えようというすごい挑戦です。一度は絶滅したコウノトリが、実際に豊岡の里山を舞えば、その光景に日本中が励まされるんじゃないでしょうか |
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最近、海外でも「SATOYAMA」の評価が高まっているようですね。
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柳生
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事で欧米人と話すと、みな「日本の里山は奇跡だ。あんなに素晴らしい環境がなぜ残っているのか」と聞いてきます。自然を征服してきた彼らには信じられない景色なのでしょう。むしろ日本人のほうが身近すぎて、里山の尊さに少々無頓着かもしれません。ただ、もう昔には戻れないわけですから、里山をセンチメンタリズムで過度に美化してはいけないと、僕は思うのです。里山の営みって、もっと懐が深い。たとえば本当に必要ならば、こういう森に文明の利器を持ち込んだっていいじゃないですか。車でもユンボでも、プラスチックのベンチでも。超えてはいけない一線だけはきびしく慎みながら、うまく自然と折り合っていく。それが、僕らの受け継ぐべき里山の知恵なんです。
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雑木林にて。枕木の回廊を巡り、緑を愛でる
Profile
やぎゅう・ひろし 1937年茨城県生まれ。東京商戦大学中退後、俳優座養成所9期生。テレビを中心に俳優行を続けるかたわら、八ヶ岳南麓に移住し、雑木林の整備に打ち込む。2004年に「日本野鳥の会」会長に就任、環境保護に関する講演も多数。
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