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和傘には30以上もの工程があり、本来は下具師、骨師、紙師、張師など十数人の職人が分業してつくる。しかし昭和30年代以降職人が激減し、そのしくみは失われてしまった。
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間島
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「だから松田さんは一人ですべてをこなしますし、私も一応、骨づくり以外は全工程を一人で行っています。松田さんから傘づくりの理屈を教わることは、ほとんどありませんでした。ただ『見て盗め』と。そしていきなり仕事をやらせるんですよ。当然うまくできません。そのくりかえしでした。初めて千鳥掛けをやったときも、傘をクルクル回しすぎて眼まで回してしまったのですが、後から「最初はみんなそうなんだ」って(笑)。失敗することを見越して、あえて教えないんです。そうしないと、身体で仕事を覚えないから。先に言葉で理屈を教えれば、もっと早くひと通りのことができるようになるし、材料も無駄にしないですむでしょう。でも、職人の修業にはそういう無駄が必要なんだと、独立してからつくづく思い知らされました」
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独立にあたっては、和紙や竹など材料の仕入れ先の手配も、一人でゼロから行った。“師匠”からの紹介などはいっさいなかったという。
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間島
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「何の実績もない私と、簡単に取引してくれるところなどありません。とくに金沢和傘には特殊な厚い和紙を使うので、紙を漉いてもらう職人さんを見つけるのに苦労しました。松田さんは『赤子は放っておいたほうがよく育つ』が持論。当時は大変でしたが、いまは、放っておいてくださってありがとう(笑)。感謝の気持ちでいっぱいですね」
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現在は自宅で1年に60〜70本の傘を制作、ホームページなどを通じて販売している。技術の研鑽(けんさん)に励むととともに、紙に切り張り細工を施すなど、独自のデザインの研究にも力を注ぐ。
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間島
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「最近はよく、梅の木や柳の木をモチーフにしています。傘を開くと、その木の下に立っているような気分になれるでしょう。雨の日でも、『さす人が楽しくなれる傘』をつくりたいんです」
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