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森館長はもともと、鳥羽水族館(三重県鳥羽市)に20年勤務し、世界で初めてジュゴンの長期飼育に成功したメンバーの一人。あのさかなクンも「先生」と慕う存在だ。
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森
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さかなクンは小学生の頃、私の著書を読んで、魚の勉強をしたとヨイショしてくれます。私も、小さい頃から海や川で生物を捕まえてきては、小さな駄菓子のビンで飼って、それを並べて自分だけの“水族館”を作っていました。出身は三重県の四日市です。当時はまだ石油コンビナートの規模も小さく、家から自転車ですぐのところに白砂青松の海水浴場がありました。鳥羽水族館には中学生の頃から通い詰め、高校生の頃には館長と仲よくなって、行くたびにお昼ご飯をごちそうになったりしていました。大学で海洋学部に進みましたが、当時の館長から、「将来はどうするの?」と聞かれたので、「鳥羽水族館で働きたいです」と答えたら、「じゃあ、来いよ」と。鳥羽水族館に無試験で入社したのは、私以外にいません。研修を受けたのも3日だけで、すぐに飼育の現場に放り込まれました。
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ジュゴンの赤ちゃんと遊ぶ若き日の森館長。野生のジュゴンの生態調査のためにパラオ諸島やオーストラリアにも頻繁に出向いた
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体育館の構造がそのまま残るバックヤード。展示スペース以外は冷暖房がないのでスタッフはたいへんだ
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鳥羽時代には、ジュゴンの生態調査や飼育技術指導のため、海外の水族館や研究機関にたびたび出向した。しかし管理職となって、現場から離れたのを機に、42歳で退職、新天地を探した。それが、すさみ町だった。
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森 |
私自身は、この町とは何の縁もありません。鳥羽水族館を辞めて、いっしょに町おこしの会社を立ち上げた友人の奥さんの実家が、たまたま、すさみ町だったんですよ。当初はダイビング事業を始める予定でした。地元の無人駅を改装し、ダイバー向けに情報発信をするコーナーを作ったのですが、ついでに待合室に水槽も11本並べ、地元で獲れたものを展示してみたんです。まあ、驚きましたね。「駅が水族館になった!」と評判を呼んで、1日の乗降客が50〜60人しかない駅に、年間1万人の人が見に来たんですから。1999年の南紀熊野体験博の際に水族館を新設することになるんですが、無人駅に置いた水槽が、そもそもうちの原点なんです。 |
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